ディアギレフとニジンスキーの仲がかんばしくないという噂は、どうやら本当らしかった。
ロンドン公演のあと、8月から予定されている南米大陸へのツアーに、ディアギレフは行かないという判断をした。
とき1913年。かの有名な「タイタニック号」沈没の悲劇が起きた翌年だ。かつ、ディアギレフはもともと船が大の苦手だった。乗らずに済むなら、それに越したことはない。
とはいえ少し前ならば、ディアギレフが自分の同行なしにニジンスキーを長旅にやるのはありえなかっただろう。さすがの彼も、この頃はニジンスキーを火種にした炎上商法に疲れていた。
5月にパリで初演した『春の祭典』は、前年の『牧神の午後』を上回る大スキャンダルを呼んだ。処女を異教の神の生贄に捧げるという設定もさることながら、ニジンスキーの振付も前代未聞だ。首をねじ曲げ、足を内向きにした奇妙な立ち姿の群舞が、ときおり痙攣のように病的に全身を震わせながら、変則的なリズムにあわせて足をひたすら踏み鳴らすのだ。それが30分間にわたってつづく。耐えきれず、黙って席を立って出ていく客はまだいいほうだ。気がふれたように笑い出す客。口笛を吹きだす客。「医者を呼べ!」「歯医者を呼べ!」と叫ぶ客。あげく、客同士の殴り合いまで勃発。警察まで出動させる羽目になってしまった。
やらかした。
ディアギレフは頭を抱えた。炎上規模を完全に見誤ってしまった。これでは、バレエ・リュスを出禁にする劇場が出てきてしまうかもしれない。そうしたら次のシーズンのツアーができなくなってしまう。それだけは避けねば。
しかしニジンスキーは、どれだけ説得しても自分の振付を変えたがらない。マリインスキー劇場でタイツ姿を押し通したときはさすがわが恋人と大喜びしたが、その頑固っぷりをバレエ・リュスのなかでも発揮するようになるとは。飼い犬に手を噛まれた気分だ。それだけではない。『春の祭典』の作曲者ストラヴィンスキーは、演目の短縮化を提案するやいなや大激怒。ディアギレフをリハーサルの現場で思い切りなじった。おかげで最近は、団員たちからの目線もどことなく冷たい。針のむしろだ。いっそアンチどもの言うとおり、振付に関してはニジンスキーをおろしてフォーキンを呼び戻そうか。……
考えすぎてもはじまらない。ほとぼりがさめるまで、ニジンスキーとも団員たちとも少し距離を置こう、とディアギレフは決意した。そもそもこの南米ツアーは、バレエ・リュスの幹部のひとりであるギンツブルクが仕切っていた案件だ。この際、彼にぜんぶ任せてしまおう。ニジンスキーのお目付役には、従僕のヴァシリー・ズイコフを派遣しておけばいい。切れ者の幹部であるセルゲイ・グリゴリエフも同行してくれるというし、恋人の身を過剰に案じる必要はあるまい。
ディアギレフは腹心のパトロンであるミシア・セールといっしょに、イタリアで夏を過ごすと決めた。しばしのバカンスだ。
大西洋を横断し、かつ赤道をこえて南半球へわたる長い船旅に不安をおぼえたのは、ディアギレフばかりではなかった。当時のヨーロッパ人にとって、南アメリカ大陸はこの世の果てだ。ダンサーからも辞退の声が相次ぐ。結果として12人がツアーへの参加を拒否した。
しかしロモラにとって、この南米ツアーはまぎれもないビッグチャンスだった。
ニジンスキーと一緒に過ごせる長い船旅。しかも、ディアギレフが不在ときている。
ついていく以外の選択肢はない。
ロモラは1等船室を予約した。ニジンスキーもきっと同じ等級の船室にいるだろうと見越してのことだ。その勘はあたる。彼の部屋であるAデッキの61号は、ロモラの部屋と同じ廊下に位置していた。
幹部やソリスト級のダンサーを除く、コール・ド・バレエ(群舞)クラスの一般団員たちは、みな2等船室だ。研修生の身分たるロモラが堂々と1等船室にいることは、ちょっとした噂にはなったが、幸いニジンスキーが目当てだということはバレなかった。
「ああ、あの子は『ブダペストのお嬢さま』だから」
よかった、お嬢さまで。よかった、あのブダペストのピカピカの屋敷をみんなに見せておいて。3等乗客と1等乗客が恋に落ちる。映画『タイタニック』ばりのロマンスも起こりえないわけではない。けれど当然ながら、同じ1等にいたほうが接近のチャンスは上がるだろう。
「さあ、チャンスが来た」
ロモラの目は燃えている。
「21日間、あるのは海と空だけ。おまけにディアギレフはいない。もう彼はわたしから逃げられない」
アンナは半笑いとともにその宣言をスルーし、黙々と船室のベッドの脇に「プラハの奇跡あふれる十字架」の絵を掛けてやった。おー、ガチ恋こわい、こわい。
バレエ・リュスの一行を乗せた王国郵船会社の外洋船「エイヴォン号」は、最後の停泊地であるポルトガルのリスボンから一路、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロを目指した。バレエ団の最初の巡業地は、アルゼンチンのブエノスアイレスだ。
デッキから、遠ざかっていくヨーロッパ大陸に手を振る。ここにあるのは海と空だけだ。真夏の太陽の下、小さな孤島がすべるように海面を走っている。ニジンスキーと自分を乗せて。
ついに、ここまで来た。
たったひとりの推しを追いかけるために。
ニジンスキーはわたしを変えてくれた。
ロモラは確信する。流されるがままに好きでもない男と婚約した、かつての自分が信じられない。あんな無気力な、意志のない人生とは永遠におさらば。彼に関することなら、なんでも知りたい。1ミリでも近づけるなら、なんだってする。もうどんなコミュニティにも怖がらずに出て行けるし、どんな団員とも気さくにおしゃべりできる。ベテランの女性ソリストであるオヴロコヴァやコヴァレフスカ、そしてこの旅を取りしきる幹部のギンツブルクとさえも。なんでこの素人女がいるんだとばかり、白い目で見てくるグリゴリエフのような幹部もいるけれど、気になんてしない。
勇気を出せば、振付の現場だって見学させてもらえる。
ロモラがニジンスキーだけの秘密のレッスン室の存在に気づいたのは、出港から数日後のことだった。Cデッキからレストランに降りる階段の脇の小さなホールに、ピアノが置いてある。ニジンスキーは3時になると、フランス人ピアニストのルネ・バトンとここへやってきて、バッハの音楽をもとにした新作の振付に取り組んでいた。
立ち入り禁止なのだろうか。
こっそりと階段のいちばん上に座ってみる。するとレストランのウェイター長がやってきて、ここにいてはだめだと注意された。次の日もまた行く。今度はバトンから、出て行ってほしいと丁重に言い渡された。ああ、やっぱりダメか。
腰を上げかけたところで、ふっとニジンスキーの手が動く。バトンに向かって、別にいてもかまわないと身振りで意志を伝えているようだ。
いいの……?
高鳴る胸をおさえながら階段に座り直す。ニジンスキーの新作の振付……! ああ、ヨーロッパじゅうのファンが見たがる光景にちがいない。ときに目を閉じてピアノの音にじっと耳を澄ませ、ときに指で動きを確かめ、ときに同じ旋律を繰り返して弾かせながら、少しずつ作品を形にしていく。その輝かしい創造の現場を見守っているのは、ピアニストとわたしだけ。
これが推しへの愛を貫いたご褒美でなくてなんだというのだろう。自分で自分を褒めてもいい。この幸福をつかみ取ったのは、わたしだ。
バレエのレッスンだって好きになった。
かつては「団員になりたい」というのは、ニジンスキーに接触するための口実だった。けれどいまは、それは本当の夢になった。はやく1人前のダンサーになって、ニジンスキーと一緒の舞台に立ちたい。もちろん自分の踊りが、まだ人に見せられるようなレベルでないことは百も承知だけれど。
船上では、ニジンスキーの発案によって、デッキで合同レッスンが行われるようになった。背筋が凍る。ロモラの師たるマエストロ・チェケッティは今回のツアーに同行していない。彼のメソッドではないレッスンについていけるだろうか。小さく身を縮めながら参加した。ニジンスキーははるか遠くで黙々とレッスンに集中している。振り向いてほしい。わたしを見てほしい。でもどうか、膝の曲がったぶざまなアラベスクをさらしているこの瞬間ではありませんように。……
けれど、そんな心配は徒労だった。
なにしろニジンスキーときたら、ロモラにまったく無関心なのだ。
デッキに座って読書をしている前を通りすぎたり、わざと大きな声でほかの人とおしゃべりしてみたり。何をしても一瞥さえしてくれない。秘密のレッスン室に入れてくれたのも、彼にとっては誰が居ようが居まいがどうでもいいからなのだ。そもそもあまり他人に興味がないのかもしれない。それも徐々にわかってきた。彼と親しくなれないのは言葉の壁のせいだと思っていたが、一概にそうともいえないようだ。
誰からも嫌われてはいない。たとえディアギレフが不在であっても、皆に一目置かれ、大事にされて、ヴァシリーやギンツブルクからいつも世話を焼かれている。尊大なグリゴリエフさえも、彼に対してはうやうやしくお辞儀をする。話しかけられれば、返事はする。たまには笑ったりも。それにもかかわらず、誰とも心から打ち解けている様子がない。自称「宴会キング」のアドルフ・ボルムが冗談を言って場を盛り上げているそばで、ぼんやりと突っ立っている。何を考えているかさっぱりわからない。熱が入ったそぶりを見せるのは、バレエに対してだけだ。
ひょっとしたら、ディアギレフは自ら盾になってニジンスキーを守っていたのかもしれない。いや、守りすぎたせいでこんな風になってしまったのだろうか。
舞台の上では神。舞台を降りればとんだコミュ障男子。
わたしはこんなに変わったのに、推しはちっとも変わってくれやしない!
理不尽な感情と自覚しつつも、腹が立ってくる。ほとんどストーカーの逆恨みだ。「横っ面をひっぱたいてやりたい」「首を絞めてやりたい」そんなぶっそうな妄想まで頭に浮かんでくる。
アンナの辛辣さは、ロモラにとって精神的な防波堤だった。ロモラの宣言以来、彼女は船室にわざわざ日めくりのカレンダーを掛けて、毎日これ見よがしにベリベリと剥がすのだった。
「ほーら、タイムリミットまであと12日!」