ちょうど1年前、こんな本を出しました。
『ベートーヴェン捏造 – 名プロデューサーは嘘をつく』
かげはら史帆/柏書房
犯人は、誰よりもベートーヴェンに忠義を尽くした男だった──。
ベートーヴェン捏造
音楽史上最大のスキャンダル「会話帳改竄事件」の全貌に迫る歴史ノンフィクション。
はじめての本(商業本)ということで、いろいろな人から出版の動機や経緯をきかれ、つど答えてきたのだけれど、そういえば自分自身はなにも記録を残していなかった……
ということにいまさらながら気がついたので、1周年を機に、執筆当時のことやその後について書き留めてみました。ちなみに拙著はAmazonほか主要ウェブストア、書店などでまだまだ販売中。電子書籍もあります。この記事が本の入り口になれば幸いです!
わたしは長年にわたり音楽家ベートーヴェンの周辺人物(弟子・友人・知人関係)のオタクで、特に「会話帳」という伝記資料を追いかけてきました。
会話帳というのは、耳が聞こえなくなった晩年のベートーヴェンが使っていた筆談用のノート。このノート、200年前に生きた音楽家や周辺人物たちの日常会話が読めるという点だけでもおもしろいし、のちに腹心の秘書のシンドラーという男が闇落ちして中身を改竄してしまう事件も起きたりして、なおさらおもしろい。
というわけで、好きが高じて「会話帳改竄事件」をテーマにした修士論文を書いたのが2007年。けど、論文ですべてを書き切ったとはまったく思っていなくて、「このネタは絶対おもしろいから何らかの形で世に広めたい」という願望をずーっと胸に抱いていました。
とはいえ本業(サラリーマン)も忙しいし、世に広めるといっても、商業本であるべきなのか、むしろ同人誌がいいのか、ウェブ媒体がいいのか、小説がいいのかノンフィクションがいいのか……など、複数の選択肢を前に、10数年あまりダラダラと迷い続けておりました。
が、そうこうしてるうちに30歳になり、35歳が近づき、勤続年数も10年にさしかかり、リソースを持てあます余裕も少し出てくるようになり、たぶん多くのひとは子育てにこのリソースをぶっこむんだろうなと思いつつそんな気は露ほども起きなかったので、だんだんと「自分は自分の馬力で自分の人生を盛り上げるしかないんだな」という悟りが開けてきました(独身アラフォーの入口)。
で、やっぱ子育てより会話帳だぜ会話帳!!!という確信を強めつつ(※生き方は人それぞれ)、曲がりなりにブログをこしらえたり、Twitterの鍵を開けたり、Wikipediaに記事を書いたりしてみたところ、そんな些末な営みでも見てくださる方はいるもので、イベントのゲスト参加とか連載のお声がけとか「おっ、ちょっと運が向いてきたか?」という出来事がいくつか立て続けにありました。柏書房の編集者さんとも、その流れのなかで知り合った次第です。
2017年7月。世界各国の歴史料理を再現するプロジェクト「音食紀行」主催のイベント「偏食家ベートーヴェンの食卓」にゲストスピーカーとして参加したとき。音食紀行・遠藤雅司さんの初著書『歴メシ!』の編集担当・竹田純さんを紹介していただきました。
イベント自体が「会話帳の記述からベートーヴェンが実際に食べた料理を掘り起こして提供する」という趣旨だったので、「実はこの会話帳って改竄されてるんですよヤバくないですか!?」という話を竹田さんに振ってみた記憶があります。
後日、わりと早く打ち合わせの機会をいただいて、修士論文を読んでもらいつつ、企画書を作っていった感じです。
本を構想する上での最大の関門は、「どういう手法をとれば、この論文(に書かれた内容)をより一般向けの本らしくできるか」という点でした。ここは、初回の打ち合わせでかなり話し込んだ記憶があります。
竹田さんからは、論文に登場するネタは素材として大いに活用しつつ、全体の構造はほぼ解体して一般向けのノンフィクションに仕上げるという方針を提案されました。
端的にいうと、主人公が変わりました。
修士論文 → 主人公:史料(会話帳)
一般書 → 主人公:人(シンドラー)
なるほど。
たしかに「これこれこういう史料があって、その史料が改竄される事件がありました」より、「これこれこういう人がいて、これこれこういう経緯を経て、これこれこういう改竄事件をやらかしました」の方が、とっつきやすいしエモい。
「一本の映画のような作りにしましょう」という提案も、早い段階でいただきました。「序は学会の場で改竄の事実が公表されて会場がざわつく雰囲気がほしいですね」「本編は変化が必要。最初は純情で情けない青二才だったシンドラーが、だんだん老獪な年寄りになっていく過程を描きましょう」とか、イメージをバンバン挙げてくださるので、私の方は「うおおおお書きたい!!それ書きたいっす!!」と、この時点でテンションが上がりまくりでした。
あと、「クラシック音楽愛好家に向けた本にしない」という点は、最初から意見が一致してい
ました。竹田さんは「ノンフィクションの棚に置いてもらう」をひとつ目標にされていたようで、これは結果的にある程度、成就したかなと思います。
柏書房内の会議で企画書が通ったのは2017年の9月。知り合ってから2か月。けっこうハイスピードでしした。そのあと、すぐにスケジュールを相談し、執筆に入りました。
(私サイドの)進行はざっくりこんな感じでした。
2017年10月~12月 第1幕
2018年1月~5月 間奏曲、第2幕
2018年6月 序曲、終曲、バックステージ2編
2018年6月-9月 直し、校正
2018年10月 刊行
刊行はいろいろあって2ヶ月遅れになりましたが、執筆ペースそのものに関してはほぼ予定通りでした。ざっくり1ヶ月に1~2万字くらいです。
わたしは一発できれいな文章を書くことができず、最後まで行き着いたあと先頭に戻って手直ししてまた先頭に戻って……を3周くらいやってはじめて人様に読ませられる最低ラインの文章ができあがるタイプなので、これ以上はとてもペースアップできませんでした。
平日は、仕事終わってから、夜8時くらいにカフェやファーストフード店に入ってそこから2時間。土日祝は終日。サラリーマンとの両立についてよく訊かれますが、無理した記憶は一切ないです。いまどき大学の先生でも、専業のライターさんでも、雑多な仕事に負われながら執筆時間を確保しなければならない状況は同じなのではないでしょうか。むしろ勤め人のほうが、生活リズムが固定なぶん執筆ペースを作りやすい気もします。
(もちろん平日の日中を使えないのが大きな制約なのは間違いなく、その制約の中でも可能なスタイルを模索した結果こういう本になった、という言い方もできるでしょう)
とはいえオーバーワークにならないような自己管理は必要で、疲れた日は何もしなかったし、やる気出ない日も何もしなかったし、寝ないと死体になる人間なので睡眠時間もばっちり確保してました。たぶん竹田さんを徹夜させた日は数知れずあったと思います。ごめんなさい。
やりとりは最初はメール添付でWordファイルを交わしていましたが、途中から連絡はslack+テキストはGoogleドライブに切り替えました。これでやりとりの効率がかなりアップしました。
文章はすっごいたくさん指摘が入りました。何回修正したか覚えてないくらい修正した箇所もあります。読みやすいという感想をよくいただきますが、これは100%編集力の賜物です。友人知人は読んでくれてもこんなにたくさん指摘してくれたりはしないので、あらためて編集さんの存在をありがたく感じました。
著者と編集者の関係ってたぶんいろいろだと思います。我を通すのも著者のあり方だと思います。わたしは(少なくともこの本については)かなり早い段階から、編集者さんになるべく多くの部分をゆだねようと決めていました。
わたしの場合、本業で商品企画や本づくりにかかわった経験があったので、自分の発想力の長所も短所も限界もあらかじめよくわかっていました。自分の意見を押し通して、自分の得意なやり方で丸めたら、いつもの自分の商品になっちゃう。それじゃつまらない。せっかく新しい世界で、しかも普段とは逆の「社員じゃない側」にいるわけなので、なるべく自分以外の人のイマジネーションやポリシーや都合が反映された本にしたいなと。そういうわけで、わりと「おまかせしまーす」ってスタンスでした。(あ、これはあくまで自分比の話なので、他の著者さんと比べてどうであるかはわかりません)
装丁まわりもおまかせで、ただ、「クラシック音楽の本を作り慣れてる人にしないでほしい」というお願いだけはしました。とてもヘンな注文ですが、「ベートーヴェンが題材ならアレとコレを持ってきてこう並べればOK」という手癖のない方のほうが、この本のコンセプトに合うものができるだろうという確信があったからです。
そういうわけで装画の芳崎せいむさんもデザインの根本綾子さんも、竹田さんが決めました。わたしも打ち合わせには同席させてもらいましたが、おふたがたとも本文を熟読してくださった上で、溢れんばかりにバーッとイメージを挙げてくださって、心から感激しました。そしてわたしが感激してホワーンとしている横で、すべてがスムーズに決められていきました(笑)。
本づくりの過程で、唯一、方針を変えてほしいとお願いしたのはルビです。当初案だともっと多かったのですが、読者の年齢層のイメージと乖離があったので削ってもらいました。
タイトルはわたしと竹田さんで案を出し合って、最終的に柏書房さんの会議で決まりました。ちなみに初期案は『名プロデューサーは嘘をつく』のほうが本題でした。帯のコピーの一部はわたしの案が通って、これはちょっと経験が生きた感じでうれしかったです。
編集者って、人を動かしたり、調整したり、著者をなだめすかしたり、大変な仕事だとつくづく感じるわけですが、わたしにとっていちばん励みになったのは、第1幕第4場の原稿を渡したあたりで言ってもらえた「いや~、シンドラーは魅力的ですねえ」という言葉でした。これ、超ハイパーやる気でました。キャラを褒められてモチベーションが上がるのがさすがオタク。というのもあるし、バリバリのクラシック畑の人だと、先入観が強すぎて、シンドラーという人物に対するポジティブな感想じたいが出てこないと思うんですよ。だからこの一言はすごく新鮮でもあって、ターゲットにしたいと思っている読者にちゃんとピントを合わせようという思いが強まりました。
逆に「あんまりシンドラーを追い詰めすぎると読むのがつらくなる読者もいるので、適度にクールダウンしましょう」というアドバイスもありました。緩急ってことですね。だいじ。
あと「これは悪い意味で言うわけじゃないんですが」という前置きの上で「かげはらさんはシンドラーをこんなに追い詰めておきながらぜんぜん平気そうですね」とも言われました。そ、そ、そうかも……たしかにシンドラーを溶鉱炉に突き落としたあと平然とラーメン食べて寝てました。
でも、こういうの、相手(=描くキャラ)との関係性によるなあとも思います。たとえテキスト上といえども、生身の人間どうしの交流と同じく、人物と自分との距離感って実はひとりひとりかなり違ったりする。シンドラーに対しては、私が手綱を握りそこねてもブレずに我が道を爆速してくれるというある種の絶大な信頼(?)があった気がします。同じベートーヴェンの秘書でも、ホルツは案外ちゃんと丁寧に接しないとわからない人だな~とか、わたしはわたしなりに結構いろいろな差異を感じつつ書いていました。たとえばピアニストの方も、作曲家や作品によって演奏上のコミュニケーションのとり方が違う、なんてことあるんじゃないでしょうか。それに似ているような気がします。
出版直後のことは割愛します。とにかく書評掲載に恵まれて、ピーク時は毎週のようにどこかの新聞や雑誌に評が載るような状況でした。これは、いろいろな媒体や人に振り向いてもらえるテイストで本を作り上げた竹田さんの功績だと思います。おかげさまで発売2か月で2刷がかかりました。ありがたやです。
2刷の帯はこんな風になりました。
これ以外にもたくさんの評をいただいて、ほんと一生の財産です。
その後なんやかんや1年が経った上で思うことを少し。「本を出しても何も変わらない」とおっしゃる著者さんはかなりたくさんいらっしゃいます。わたしも変わらないといえば変わらないです。たとえばいわゆる自己肯定感的なアレとか、そういうのはなーーーーーーんも変わんないです。一時的な高揚感とか、1ミリくらいの底上げはあったかもしれないですが、そんなもんです。日々は過ぎ、消費税率だけは上昇し、コンビニの店員さんに「あっ。。。ここで食べます。。。」と小さな声で申告している30代です。
ただものすごく変わった点もあります。わたしの場合、いちばんの大きな変化は、「会話帳改竄事件というテーマをいったん自分のなかで終わらせることができた」点です。このテーマをどう形にしようか悩んでいたときは、どうしたらいいかわからない20キロの荷物をいつも背負っている感じで、たまにコインロッカーにぶちこんだり、また出したり、あまりに重いので置いて逃げようとしたり、また取りに引き返したり、ヨロヨロあてどもなくさまよっているような状態だったけど、20キロが1冊の本に変わって日本全国に飛んでいって、肩が一気に軽くなった。そして軽くなったら、もっと別のテーマを背負ってみたいし別の道を歩いてみたいという欲望がわいてきました。わたしは「いろいろなものをアウトプットしたい」というタイプではなかったので、これは自分自身でも予想外でした。
もちろん会話帳は会話帳でまだ探求したいポイントはいろいろあるし、また別の何かを形にすることもあるかもしれません。けれど、それはそれとして、ときに違う時代に飛んだり、同じ時代でもこれまでノーマークだった人物や出来事にスポットを当ててみたい。それが1年を経たいま、いちばん思うところです。