Writer/文筆家

演奏会が消えた世界で、音楽家の伝記を刊行すること

 無数の演奏会やイベントが消えた。
 わたしがトークゲストとして参加を予定していたいくつかの演奏会やイベントも消えた。

 CDショップは休業し、書店も休業した。

 本づくりは止まることがなかった。予定通り校了し、予定通り印刷され、そして予定どおりの日に刊行された。
 それはこれまで、家の外で仕事をしてくれた方々のおかげだ。

 開いていない書店もたくさんあるけれど、通販という手段もあり、配送はいまのところストップしていない。注文してくださった方のもとには、多少の遅延があったとしても届くだろう。
 それはこれから、家の外で仕事をしてくれる方々のおかげだ。

「運がよかったと思います」
 担当の編集さんには、感謝の意のつもりでそんなメールを送った。消えてしまった無数の演奏会と比べたら。演奏の場を失ったアーティストのかたがたと比べたら。でも、送ったあとに、幸運とか不運とかそういう言葉を使ってはいけないなと思い直した。あらゆる流通商品と同じく、この本もまた命のリスクを誰かに負わせながら世の中に出ていく。
 わたしにできるのは、それをどんなときも決して忘れないようにすることだけだ。

 いま、あらためて、できあがった本のページを繰る。
 この3センチ弱の厚みをつくりあげている文字は、数ヶ月前には、たった200キロバイトのWordファイルのなかにおさめられていた。

 そのときのわたしは、何も知らなかった。
 刊行予定の2020年4月に世の中がどのような状況になっているかを。

 

 わたしは何も知らなかったし、わたしはわたしが何も知らなかったことを知っている。
 にもかかわらず、ページを繰るうちに、時折はっと手が止まる。

 この本の主人公は、フェルディナント・リースという1784年生まれの音楽家である。
 フランス革命が起こる5年前に産声をあげ、ナポレオン戦争時代に青春時代を送った彼は、世の戦局にに大きく翻弄される前半生を送った。宮廷音楽家への道を断たれ、2度にわたって軍隊から召集され、行く先々で砲弾にさらされる日々。

 彼の師であるベートーヴェンは、キャリアの危機に陥った若い愛弟子の将来を憂い、自分のパトロンに向けて助けを求める手紙を書いた。

この状況ではアカデミー(予約演奏会)を開くこともできません──彼は施しに頼るより他ありません。(……)気高いお方にお頼りする以外に、このようなひどい苦境を切り抜ける方法はございません。

1805年11月13日以前 リヒテンシュタイン侯爵夫人への手紙

 それは、ベートーヴェン自身の悲嘆の声でもあった。当時の彼は、人生初のオペラ『フィデリオ』の初演を目前に控え、社会状況の悪化に大きな不安を抱えていた。悪い予感は的中する。ナポレオン軍にウィーンの街を包囲されてから1週間後に強行された初演は、ドイツ語がわからないフランス軍人ばかりがわんさか押しかけ、大失敗に終わってしまう。

 いっぽうの弟子は、師のベートーヴェンよりもさらに大胆な賭けに出た。コンサート・ピアニストを志していた彼は、ピアノを演奏できる環境を求めて、故郷のボン(現ドイツ)を離れ、北欧を経由してはるばるロシアへと長い長い旅路に出る。逃げても逃げても、戦争は魔の手のように追ってくる。それでも行くしかない。

 だってそうしなければピアノを弾けない。演奏会を開けない。聴衆の前に立てない。
 音楽で食べていくことができない。

 告白すると、書いているときにはその葛藤の正体がわからなかった。
 もちろん想像しようとはつとめた。けれど、そのイメージは、いま音楽で生計を立てている何万人ものひとびとがあげている声ほどには鮮明ではなかった。もっといってしまうと、「しょせん200年前の話」という感覚は否めなかった。

 書いているときにはわからなかったそれらの状況を、そのとき書いたものを読みかえすことによってはじめて理解する。その痛みが、切迫感が、どれほど深刻なものであったか。紙にきざまれた文字が身に迫る。

 ふしぎなものだ。

 著者としての仕事は終わった、と思った。もちろん、わたしが著者である事実は、これまでもこの先も変わらない。けれど、自分の内面的な段階は明らかに変化した。書く人としての役目を完全に終え、ひとりの読者になった。新しい時代を生きる読者として、本を読む存在になった。

 こんな風にはっきりと実感できることはめったにない。

 こういう社会状況下でなければ、わたしは刊行されてからもしばらく、書き手のぐるぐるした自我のなかにとどまりつづけていただろう。それはそれで味わい深い時間なのだけど、この本に関しては、ほとんどその時間を過ごすことなく終わってしまった。いいとか悪いとかではなく、それもまた時代と状況のめぐり合わせのようなものだ。

 わたし以外の読者のかたがたは、この本からなにを感じるだろう?
 それはわからない。フェルディナント・リースという音楽家に対する評価がさまざまであるように、この本の受け止められ方もきっとさまざまだろう。
 あえてひとつだけ、元・著者であり現・読者であるわたしからひとつ書き添えておきたい。たぶん、音楽書を読み慣れた方には、この本は少し奇妙な印象を与えると思う。一般に音楽家の伝記は、「音楽家や音楽作品の(再)評価を促す」ことを目的に書かれている。しかし本書にその意図はない。わたしはあとがきに「(リースの作品の)音楽的な価値を論じるのは自分の仕事ではない」とはっきりと書いた。わたしはただこの人物が好きで、好きだから彼の人生にもっと迫りたいと思い、この本を書いた。それはたぶんアーティストの方々にとっての「好きだから演奏したい」という衝動と大差ないものだ。ピアノ・ソナタを弾くようにノートPCのキーボードを叩く。わたしにはそういう表現の手段しかなくて、だからこういう本ができた。

 たくさんの演奏会が消えてしまった。この本が消えずに済んだのは紙一重の偶然にすぎない。ある種の生き残りとして世に出ていくこの1冊に、願いを託さずにはいられない。少しでも早く、安全な形で演奏会が復活することを。そして、いまは紙の上でじたばたしているこの音楽家が、聴衆の前で喝采を浴びる未来が来ることを。

『ベートーヴェンの愛弟子 – フェルディナント・リースの数奇なる運命』
 かげはら史帆/春秋社 2020年4月22日 第1刷発行