Writer/文筆家

【雑文】成人の日にグレーのジャケットを着た話、あるいはロモラ・ド・プルスキーのナポレオン風コスプレについて

 
 先月まで、ロモラ・ド・プルスキーという19世紀末生まれの一女性の人生の物語を書いていた。
 いうまでもなく何かを書くとは何を書かないかを選択することであり、紙工作で花やカードを作るのと同じく、形を切り抜いたあとには山のような紙くずが残る。なかには使うつもりで取っておいたのに、結局、本編にはめ込む場所を見つけられなかったパーツもある。そのひとつが「ナポレオン風のコスプレ衣装」をまとった16歳のロモラの写真である。

 このコスプレ写真が撮影された経緯はわからない。判明しているのは、彼女が学校でナポレオンの人生や哲学を熱心に学んでいたこと、この衣装を自分で用意したらしいことだけだ。「長い19世紀」に生きた若者がナポレオン・ボナパルトに心酔するのは珍しくない。『赤と黒』のジュリアン・ソレルも、 『罪と罰』のロジオン・ラスコーリニコフも、 ナポレオンの崇拝者だった。平たく言ってしまえばそれは青年が罹る心のはしかであり、中二病である。ナポレオンの仮装に興じる若者だって当然いただろう。現在でもナポレオンはもっともメジャーな西洋歴史創作のテーマだし、ファンがコスプレをするイベントもある。

 しかし男の子ならさておき、1891年生まれの“女の子”にとって、ナポレオンのコスプレが定番だったとはあまり思えない。それなのに、ロモラはフランス軍の二角帽を擬した帽子を真横に広げてかぶり、マントを颯爽と羽織り、腕を組んで斜に構えている。カメラに向かって精一杯のにらみをきかせ、唇には不敵な笑みをたたえている。
 残念ながら、コスプレとしての出来は中途半端だ。せっかく黒いブーツを用意したなら男性用のキュロットかパンタロンを履けばいいのに、マントの下には何の変哲もないロング・スカートがのぞいている。どうやらズボンを履くほどの思い切りはなかったらしいが、当時の社会規範からしたら、これでも精一杯の逸脱だったのかもしれない。結構いいキメ顔をしているところをみると、本人としては充分に満足だったのだろう。彼女は彼女なりにやり切ったのだ。そう信じたくなる。実のところ私はこの写真を見て、「こいつ、やっぱりそういう系のヤツなんじゃねえか」とますます強い確信を抱いた。“そういう系”の仔細をここで語るのはやめておく。ただ、私の彼女への愛と関心はこの写真を見てさらに深まった。つくづく、おもしれー女である。

 さて、私はいまグレーのジャケットを着て、自宅の近所のカフェでこの文章を書いている。きょうは2022年1月10日、成人の日の祝日。午前中、映画を1本観たあと(ビョルン・アンドレセンのドキュメンタリー『世界で一番美しい少年』を観た)、映画館の近くの神社に行って、賽銭を投げて、手を2回打ってきた。わざわざジャケットを着るべき畏まった用事は無い。ただ、私はどうしてもきょうこれを着たかったのだ。
 このジャケットは、昨年末の大掃除のときに「再発見」した。 クローゼットのいちばん奥から出てきたパンツスーツを目にした私は小さく息を呑んだ。パンツの方は裾がすり切れていて履けそうになかったが、ジャケットはシワもシミもなく、20年前に買ったとは思えないくらいにはきれいだった。
 というわけで、着た。自分しか知らない秘密の「コスプレ」として。
 いったい誰のコスプレか。他ならぬ自分自身の、である。
 いまからちょうど、20年前の。

 あらためて確認したところ、20年前、つまり2002年の成人の日は10日ではなく14日だった。このジャケットに袖を通した日は誕生日当日ではなかったということだが、細かいことはいい。20年前のその日、私はこのニューヨーカーのパンツスーツを着た。中学の終わりに転居したので、在住している市には友人知人がいなかったが、それでも一応は成人式に出て(ゲストにマギー審司が来ていて、あまりにおかしくて独りで笑いをこらえるのがつらかった)、そのあと女子高時代の友人と会って、ファミレスでダラダラとおしゃべりをして1日を過ごした。……と、記憶している。カラオケや居酒屋にも行ったかもしれないが、覚えていない。
 10人くらいいた仲間の、自分以外の全員が振り袖だったことはよく覚えている。

 だから何、というつもりはない。たったひとり違う服を着る程度の度胸と信念はあったのだろうが、自分の頑なさを称えるよりも、周りが寛容でよかったと感謝するほうが先だろう。集合写真でひとりだけ華のない格好をしていても友人たちから何の文句も出なかったし、親も振り袖を着ろとは一切言わなかった。
 それより不思議なのは、20年前のその選択の意味が、いま、ある種の答えのように自分の胸にストンと落ちていることだ。当時のジャケットは、まだちゃんと着れた。2倍の年齢を迎えた誕生日の朝にも、ちゃんと着れた。なんの違和感もなかった。つい先ほど検索したら、ニューヨーカーは30代から50代のキャリア女性向けのブランドと説明されていた。しっくり来るのは当然で、むしろ当時の自分がやたら背伸びして“大人コスプレ ”をやっていたわけだ。ちょっと丈が長めなのだが、最近はブームが一巡したのかオーバーサイズの服が流行なので、デザイン的な古さもあまり感じない。いまカフェの隅っこの席で、ホットチョコレートを飲みながらポメラに文字を打ち込んでいるグレーのジャケットの女が、40歳の通過儀礼として“大人コスプレをする20歳のコスプレ”をしている、とはもちろん誰も思うまいし、関心も持つまい。ましてやこのホットチョコレートがロモラ・ド・プルスキーの好物に準じていることなぞ宇宙の誰も知るまい。それでいいのだ(いいのだ)。辻褄が合ったり合わなくなったりしながら年月は過ぎ、歳は重なっていく。


 運命の人に出会ったばかりの21歳のロモラにナポレオンのコスチュームを渡しても、黒歴史を見せつけられた恥ずかしさで背を向けてしまうだろう。16歳の倍の32歳でも、まだダメかもしれない。でも40歳のロモラだったら──夫の病に立ち向かい、戦争を乗り越え、単身でヨーロッパやアメリカを飛び回るエネルギーを得たロモラだったら、ひとしきり笑ったあとに着てくれるような気がしてならない。自分の人生の秘密を解く鍵をまたひとつ見つけた証として。
 もちろん、実際そうなるかはわからないし、それを試みる術もない。ただ私は、自分の作品の登場人物に対して、そんな想像力と直感力をいつも持っていたいと願っている。そうでなければ、床に散らばった紙くずのなかからナポレオン風コスプレの彼女を見つけ、拾い上げることはできないだろう。これからの人生に何が待ち受けているかも知らないまま、ただ着たい服を着るというささやかな望みを果たし、カメラ越しの私をしたたかに見つめている、若き彼女の一葉の写真を。

2022年1月10日 Shiho Kagehara