Writer/文筆家

【連載】『わたしが推した神』0 プロローグ

 

 ことばを、失った。

 しなやかで……
 猫のようで
……
 いたずらっぽくて……
 キュートで
……
 羽根のように軽く
……
 鋼のように強く……
……

 彼女がそんなふうに「神」を語れるようになるのは、20年以上あとのことだ。

 1912年3月。
 そのときの彼女は、完全にことばを失っていた。

 オーケストラ・ピットから響くメロディには、聴きおぼえがあった。
 たしか、もとはピアノ曲だ。ロベルト・シューマンの『謝肉祭』。姉のテッサが、実家のサロン・ルームで弾いていた。
 舞台幕があがり、最初に登場したのは男女のダンサーたちだった。紳士はみなシルクハットに、ウエストがきゅっと締まったジャケット。淑女は、白いレースの帽子を顎の下で結び、腰から下がふんわりと盛り上がったドレスをまとっている。若いカップルたちは手をとり、ワルツのリズムにのって優雅に踊る。その間を縫うように、ロイヤルブルーのスカートをひるがえす婦人や、ちいさな羽根をつけた蝶々の妖精があらわれて、くるくると回り、跳ねる。
 なんて可憐。なんてノスタルジック。おじいちゃんやおばあちゃんがまだ子どもだった、遠き時代のおとぎ話。

 よく知っている。
 いろいろな大人が、いろいろな本が、いろいろなアートがこの世界を教えてくれた。偉大なる19世紀の記憶として。ハンガリーの名家の令嬢に求められる教養として。芸術を鑑賞するために持っておくべき美の基準として。

 でも。
 こんな人は、知らない。

 舞台袖からひょっこりと現れた、ひとりのダンサー。
 目もとは真っ黒な仮面でおおわれていて、顔立ちはわからない。そのぶん、身体の線がきわだって見える。上半身は肌の色が透けるほどに薄いシャツと、胸の前でひらひら舞う黒いリボン。胸から下は、青と桃色のひし形もようのぴったりとしたタイツ。
 疑いようもなく、男の肉体だ。ほかの男性ダンサーよりも小柄だが、首は太く、身を反らすと喉ぼとけがくっきりと浮き上がる。太腿もふくらはぎも、よく見るとごつごつとした筋肉のかたまりだ。腰の下の青いひし形もようは微かにふくらんでいる。
 それなのに。口元の艶やかなほほえみは女性そのもの。腕の動きはなめらかで、ときおり、しなをつくるように手を客席に伸べる。柔らかく膝を落としたかと思うと、次の瞬間には天高く舞い上がる。指揮棒が、オーケストラが、客席が、はっと息をのみ、世界が呼吸を止める。  

 こんな自分は、知らない。

 何人もが袖から現れ、ひととき交わり、また袖に消えていく。人生さながらの舞台の上で、たったひとりのダンサーに意識を奪われ、目で追いかけてしまう。こっそりと手元のパンフレットをめくると、「アルルカン」という文字。イタリアの喜劇に登場する小悪魔的なキャラクター。これがあのダンサーの役だろう。
 それにしたって、こんなにも人の心をとろけさせるアルルカンがこの世のどこにいるだろう。彼といっしょに踊っている人形役の女性ダンサーも、ほかのダンサーたちも、もう何も見えない。真っ白になった舞台の上で、彼ひとりが踊っている。世界に愛と幸福をふりまきながら。仮面だけは一度も外さずに。
 その想いに応えたい。思わず差し伸べようとした手は客席の闇のなかに溶け、「あ、」という小さな落胆の声は、オーケストラの黄金色の響きに埋もれて消え去ってしまう。

 もし彼女がすでに、ことばを、そしてことばを表現する手段を持っていたとしたら。
 休憩時間になるやいなや、客席からロビーへ駆けだし、スマートフォンの電源を入れて、親指を画面にこすらせながらこう書きつけただろう。

「語彙力なくした!」

 語彙力なくした。そのことばは、まぎれもない語彙力の証明だ。「尊い」「しんどい」「無理」「待って」と同系列の、抑えがたい感情の絶頂をあらわす叫び。

 その叫びには、たくさんの共感の「いいね」がつくだろう。なにしろ彼女が心奪われたそのダンサーは、ヨーロッパじゅうで話題をさらっている時の人だった。

 ヴァーツラフ・ニジンスキー
 
──バレエダンサー、ロシア出身、22歳。

 劇場にとどろく喝采。公演のたびに新聞を賑わせる賞賛と罵倒。その反響の陰で渦を巻くのは、動揺を自分の胸にとどめきれない人びとの欲望だ。おそろしく長大な鑑賞レポート。天に舞う奇跡の一瞬を切り取ったイラスト。「※妄想です」という注釈が添えられ、伏せ字によって検索を避け、「わかる人にはわかる」という前提のもとでひそやかに紡がれるアナザー・ストーリー。
 誰かの欲望は、それを見たほかの人の欲望も呼びさます。「わかる、わかる、わかる」「それ、それ、それ」──ああ、みんな、語彙力がすごい。「猫のよう」まさに。「羽根のよう」「鋼のよう」まさに。ていうか、もはや「神」? 

 そうして彼女自身も、自分自身のことばを見つけ、胸にたぎる想いを吐き出すように書き、投稿ボタンを押しただろう。
 こんな鉄則を胸に刻みつつ。

決して、本人には近づかないこと

 そう、近づいてはいけない。本人に送って許されるのは喝采だけだ。公式ウェブサイトやSNSに記された宛先へのメッセージやプレゼントだけだ。指定された場所で、スタッフに監視されながら交わす十秒ほどの握手だけだ。欲望を欲望のままぶつけてはいけない。美しいわたしで。美しいあなたで。「あなたのファンです」「ありがとう」「また観に行きます」「ありがとう」。もし、わたしの顔や名前を覚えてくれたら、プレゼントを身にまとってくれたら、とてもうれしいけれど。でも、それ以上を望んではだめ。

 彼女はそうした一連のルールを知らなかった。
 だからこそ、無理やりことばを探そうとしてしまった。

 脳をかけめぐる半生の記憶。
 アカデミーの敷地内にある生まれ育った家。おさない姉が弾くエチュード。ルージュで汚れた母の台本。父に連れられて観た巨大なルネサンス絵画。本棚にずらりと並ぶ革張りの初版本コレクション。途中で投げ出した演劇学の教科書。……

「ちがう、ちがう、ちがう」
 人生のどこにもない。この想いをあらわすことばが。

 部屋じゅうの調度品をなぎ倒し、本という本、雑誌という雑誌をめくり、クローゼットにつるしたドレスをはたき落とし、カーテンを引き裂き、床に這いつくばり、ようやく埃まみれのベッドの下から見つけた、たったひとつのことば。

 もし21世紀であれば。
 それもまた、「尊い」「しんどい」「無理」「待って」と同じ、極度の感激をあらわす比喩として片づけられただろう。

 けれど、ときは1912年だった。そして彼女は1891年生まれの21歳の女性ロモラ・ド・プルスキーだった。言霊が暴発する条件は揃っていた。万雷の喝采のなか、大きく腕をひろげ、優雅におじぎをする「神」を淡いブルーの瞳に映しながら、彼女は取り返しのつかないことばを世界に放った。

「結婚したい……!!」