Writer/文筆家

【連載】『わたしが推した神』ACT1-5 失意の初対面

「わたし、やっぱりバレエ・リュスに入団したいの!」

 1912年の暮れ。半年ぶりに再会したロモラの前で、バレエ・リュスのダンサー、アドルフ・ボルムは小さなためいきをついた。

 ロモラとはすでに気安く口をきく仲だ。パリでもオフの日にいっしょに遊んだし、この2度目のブダペスト巡業でもしょっちゅう顔を合わせている。楽屋口から出てくると、まっさきに自分の姿を見つけ、手を振りながら駆け寄ってくる。パティスリーのホット・チョコレートを飲みながら、いろいろな打ち明け話も聞いた。芸術の才能に恵まれた母や姉について。幼い頃に亡くなった大好きな父について。バレエ・リュスとの出会いがきっかけで、成金お坊ちゃんとの婚約を破棄したことについて。

 ひょっとしてこの娘、俺のことが好きなのかな……?

 いやいや、そんな風に考えたら失礼だ。ロモラは真剣なんだから。俺はちゃんと知っている。彼女がこの1年でどれだけ奮闘したかを。パリでは自力でみつけたバレエ・クラスにまじめに通い、ルーブル美術館や図書館でバレエにまつわる絵画や歴史本を熱心に漁っていたかを。公演という公演に通いつめ、息ひとつもらさず舞台を見つめていたかを。そしてブダペストに帰ってきたいま、母親や継父から放蕩娘ととがめられ、針のむしろに座らされているかを。
 なんとか、彼女の夢を叶えてあげたい。その願いは決して嘘ではない。

 しかし、入団にはセルゲイ・ディアギレフの承認がいる。いくら太客とはいえ、バレエ初心者にひとしい彼女が入団を許されるとは思えない。

 例外がないわけではない。
 イダ・ルビンシュテインという女性がいる。彼女もバレエをはじめたのが19歳だ。ダンスのスキルは低い。その代わりに、女性版ニジンスキーとでも呼ぶべきエキゾチックな魅力があった。『クレオパトラ』では、赤の長いショールをはためかせながらポーズを取るだけだったが、踊らずしても古代の女王にふさわしい風格を放っていた。
 なんでもありなバレエ・リュスらしいキャスティングだ。

 ただ、イダに匹敵するほどの個性がこのロモラにあるだろうか。
 標準よりも少し高い背丈に、ほっそりした腕や脚。鼻筋のとおった瓜実顔に、小さくて品のいい唇。名家の次女として大切に育てられ、教養もアクセサリーも申し分なく与えられてきたお嬢さま。ただ、それ以上の特別な何かを、ディアギレフが見いだす可能性はあるだろうか。

 それに──。
 バレエ・リュスに入ることは、本当に彼女にとって幸福だろうか?

 目を輝かせていつまでも昨日の公演パンフレットを見つめているロモラの前で、ボルムはもういちどため息をついた。
 いっそ、何も知らないこの娘に真実をしゃべってしまおうか。

 バレエ・リュスが、他のバレエ団にはない独自のセンスと生命力を放っているのはなぜなのか。
 プロデューサーのディアギレフとはいったいどういう人物なのか。
 自ら踊るわけでも、振付をするわけでもない彼が、どういうモチベーションでもって斬新な作品の数々を世に送り出せるのか。
 『シェエラザード』『謝肉祭』『火の鳥』『薔薇の精』などの数多くの作品を振り付けて、バレエ・リュスの名声を世界に轟かせたミハイル・フォーキンは、なぜ先ごろこの団を去ってしまったのか。
 なぜこのバレエ団は、ヴァーツラフ・ニジンスキーを絶対的エースとして祭り上げているのか。
 ……ひいては、なぜ俺は永久にそのポジションに就けないのか。

 胸中からあふれ出しそうになる煩悶を押しとどめ、ボルムはロモラに、思いつく限りもっとも有益な提案をした。

それなら、マエストロ・チェケッティのレッスンを受けてみたら?

 エンリコ・チェケッティは、当時バレエ・リュスの団員の指導にあたっていた、イタリア人のバレエダンサーであり大御所の教育家だ。あだ名のように「マエストロ」と呼ばれていた彼は、世界でも指折りの名バレエ教師として知られていた。
 シンプルな動きを徹底させる彼のレッスンは、ベーシックな動きを覚えるのにうってつけだ。ロモラはレッスン室の隅っこのバーを握り、団員たちの動きを真似ながら、一生懸命に練習にはげんだ。チェケッティもさすがは教育のプロで、素人のお嬢さんにもしっかりと目を向け、あたたかなアドバイスをくれた。

 わたしはもう、ただのファンじゃない。
 団員たちと同じ空間で、同じピアノの伴奏に耳を澄ませて、同じ動きをなぞっていると、うっかりそんな勘違いに陥りそうになる。あの輝かんばかりの舞台の上にいた人たちと、いまや一緒に汗を流しているのだ。熱気で曇る大きな鏡。ああ、このもうもうとした空気の一部はニジンスキーの息と汗なんだ……!

 ところが。
 感激はつかの間だった。どうやらニジンスキーは、チェケッティから個人指導を受けており、通常のクラスレッスンには参加していないらしい。どれほど目を泳がせても、ニジンスキーが扉を開けてやってくる気配はない。ごくまれに、別のレッスン室で個人の稽古や振りうつしをしている姿を、分厚いガラス窓越しに見られるだけだった。

 練習シーン! レッスン着!! すっぴん!!!

 他人の目さえなければ、1日じゅうだって張り付いていたい。けれど、窓の向こうの世界は近くて遠い。接触が許されないという意味では、客席から舞台を観るのとあまり変わらない。

 早くも物足りなさを感じだした頃、ちょっとしたチャンスがやってきた。ブダペスト公演のリハーサルを取材するために、ある地元の女性ジャーナリストが劇場にやってきた。

 この機会、逃しちゃいられない。

 彼女の肩をつついて、土下座する勢いで頼み込む。どうか同じ女子のよしみでお察しください。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ推しと話したいんです……!

 かくして、初対面の瞬間がやってきた。
 ジャーナリストの後ろにくっついて、リハーサルが終わった舞台の上で談笑している男性ダンサーたちの一群に近づく。ヴァーツラフ・ニジンスキーがいる。ジャーナリストはさっそく彼に声をかけてくれた。
 相槌を打ちながら、ニジンスキーがふっとこちらを見る。エキゾチックな切れ長の瞳に自分の顔が映るのを目の当たりにし、気絶しそうになった。

 ついに、この瞬間が……!

 しかし、夢見心地になったのは一瞬だった。
 周りのざわめきのせいか、自分の緊張のせいか。どうも話がかみあわない。内容以前にことばが通じていないようだ。ハンガリー語が通じないのはわかっている。フランス語なら大丈夫だろうと思って話しかけるが、理解できている様子がない。英語に切り替える。それでもだめだ。ドイツ語も無理。もちろん母国語のロシア語ならわけないはずだが、あいにくロモラはロシア語ができない。まるで会話にならない。
 バレエということばのない芸術で結ばれたのに、ことばで苦労するとは想像だにしなかった。

「ハンガリー、歌劇場?」

 首をかしげて、ニジンスキーは繰り返す。どうやら、ロモラをこの劇場の専属バレリーナだと勘違いしているらしい。ちがう、ちがうの。そうじゃなくて、わたしは。

 …………わたしは、何?

 しどろもどろのうちに、接触タイムは終わってしまった。はーい、お時間でーす。女性ジャーナリストが、ロモラの肩をつかんで剥がしにかかる。優雅にお辞儀をして去っていくニジンスキーの背中を、ロモラは呆然と見送った。

 だめだーーーーーーー!!!

 ひとりきりになった瞬間、ロモラは膝から崩れ落ちた。
 ああすればよかった、こうすればよかった……脳内大反省会が止まらない。何語でしゃべるのが正解だったのだろうか。顔くらいは覚えてくれただろうか。この劇場のバレリーナだという誤解は解けただろうか。
 もし誤解が解けていたとしたら、なおのこと、素性のわからない女がなんのために会いに来たのかわからなかったんじゃないか。

 ……っていうか、ファンと思われただけかな。
 そうか。まあ、それは事実だけど。
 でも、ただのファンじゃないもん。ただのファンだけど。ただのファンじゃないもん。……………………

 振り返れば振り返るほど、みじめさで胸がつぶれそうだった。

 やっぱり、何者でもない自分じゃ振り向いてもらえない。ちゃんとバレエ・リュスの一員にならなければ。同僚として、同じ舞台に立つ者として、彼に真正面から堂々と挨拶できるようにならなければ。
 そのためには、なんとかセルゲイ・ディアギレフから入団の許可を取り付けないと。

 ロモラにとって、ディアギレフはニジンスキーの前に立ちふさがるラスボスのごとき存在だった。あの巨漢のプロデューサーを倒し、道を通してもらわない限りは、これ以上ニジンスキーには近づけない。
 どうしたら、この難関ルートを攻略できるだろう。

 バレエ・リュスの内部の人に仲介をお願いするのは難しいだろう。
 ボルムはだめだ。雇われダンサーである彼にとって、雇い主であるディアギレフはやはり少々おっかない存在のようだ。
 その上、彼はロモラのバレエへの向学心を信じきっていて、「チェケッティだけじゃなくて、ウィーンのヴィーゼンタール姉妹のレッスンも受けたらいいよ」と熱心にすすめてくる。ウィンナ・ワルツの現代的なアレンジで話題を呼んだ、グレーテ、エリザ、ベルタの有名なダンサー三姉妹だ。冗談じゃない! ウィーンに長くとどまっていたら、バレエ・リュスの巡業についていけなくなってしまう。

 チェケッティはもっとだめだ。さまざまな若いダンサーたちを観察してきた長年の勘だろうか。彼はどうやら、ロモラがときおり熱っぽい視線で、ガラス越しのニジンスキーを見つめているのに気づいたらしい。あるとき、耳元にこんな風にささやきかけた。
「ニジンスキーは太陽のような人です。でも、冷たい太陽ですよ」

 まずい。
 完全にカマをかけられている。推しと繋がりたくてチェケッティのレッスンに侵入している女だとバレてしまったら、いつ追い出されるかわからない。勉強熱心な生徒に見えるように心がけないと。

 いったい、どうしたものか。
 クリスマスの華やぎも目に入らないほどに頭をフル回転させながら、ロモラはウィーンに向かった。バレエ・リュスの次の巡業先だ。

 1913年初頭のウィーン公演は、波乱の幕開けとなった。
 昨年5月の『牧神の午後』の初演以来、バレエ・リュスのアンチは格段に増えた。かつてはバレエ・リュスの巡業が来るというと、どの街の人びとも拍手喝采で出迎えてくれたが、最近は列車から降りるやいなや罵声が飛んでくることも珍しくない。
 もともと保守的なウィーンであればなおさらで、ハプスブルク一家の臨席決定という名誉が騒ぎに拍車をかけた。ハレンチな舞台を、われらが高貴なる一族にお見せするなんて!
 アンチは演者の内部からも湧いた。予定していた『ペトルーシュカ』の演奏をウィーン・フィルハーモニーが拒否したり、作曲者のストラヴィンスキーがショックを受けて泣いて逃げだしたり、舞台裏はメチャクチャな有様だった。

 幸い、初演を経て雰囲気は一変した。この日はマチルダ・クシェシンスカヤ、タマラ・カルサヴィナといったトップクラスの女性ダンサーたちが登場し、観客はその美しさに魅了された。貴賓席のハプスブルク一家も、舞台に向かって熱い拍手を送った。メディアもたちまち態度が一変、こぞってバレエ・リュスを褒めそやす。

 そんな大喝采のなか、ひとり「反バレエ・リュス」を唱え続ける音楽評論家がいた。ルートヴィヒ・カルパートという人物だ。19世紀の楽劇の巨匠ワーグナーを至高の存在とみなしている彼は、昨今の「新しい芸術」への疑いを表明しつづけていた。

 客席で頑固に腕を組むカルパートの姿を目にしたロモラは、はっと息をのんだ。
 そういえば、わたし、あの人を助けてあげたことがある。

 さかのぼること数年前。家族でチェコの温泉地マリーエンバートを訪れたときだ。ある夜、通りがかりに、道をとぼとぼと行ったり来たりしている中年男に出くわした。
 あの人、たしか超有名な音楽批評家だったような……?

「おじさま、何かお困りですの?」
 思い切って話しかけると、カルパートは消え入りそうな声で言った。
「あっちに
ホテルがあるんだけど、ぼくは暗いのがとても苦手でねえ……」
 たしかに、指さした先には黒々としたボヘミアの森が広がっている。
 ワーグナー・マニアなのに、森がこわいだなんて。しのび笑いをもらしつつ、ロモラは自分の腕を差し出した。
「それなら、あたくしがエスコートしてさしあげましょうか?」

 善行はしておくべきだ。
 ディアギレフはきっといま、カルパートに会いたがっている。カルパートは、ハレンチだ何だと作品の表層をあげつらってキーキーわめくタイプではない。骨のある真っ当な批評家だ。カルパートのほうも、ディアギレフと膝を突き合わせて芸術談義をするのはやぶさかでないだろう。
 ただ、いちど公の場で批判してしまった団体のプロデューサーにのこのこ会いに行くのは角が立つ。きっと口実がほしいはずだ。どんなに些細なことでもいいから。

 だったら、その口実はわたしが作ってあげる。
 席を立って、劇場の出口に向かうカルパートを、ロモラは後ろから追いかけた。その腕を取って、にっこりとほほえむ。

 おじさま、あたくしの顔、覚えてらっしゃる? 
 ねえ、お願い。今度はあたくしをエスコートしてくださらない?