Writer/文筆家

【連載】『わたしが推した神』ACT3-5(FINALE) A Room of One’s Own


 母の手紙から“テーリー”の話題がなくなったことに、次女のタマラは気がついた。
 ともかくも「終わった」のだろう。そう察するより他なかった。それがどういう形であったかも、つまるところそれが何であったのかも、明確にはわからないにせよ。

 明石照子とは、母にとって第二のニジンスキーだったのか。
 それとも、第二のフレデリカだったのか────?

  “テーリー”をめぐっての、実の娘としての戸惑いや嫉妬心はすでに消えていた。代わりに胸にこみあげたのは、ロモラという人間に対する不可思議な愛おしさだった。

 母に敵が多いことはよく知っていた。
 親の遺産や夫の治療のための基金で贅沢三昧をしている、と言いふらす人もいた。妻という称号を利用してニジンスキーの権威を気取っている、と非難する人もいた。タマラと姉のキュラを、愛情に飢えた娘たちと気の毒がる人もいた。それらすべてを根拠のない中傷と言い切ることはできない。けれど、反論したい自分もいた。母の心の秘密を推し量る想像力もなしに、いったい母の何を批判できるだろう。
 もし自分がいつか、母について公の場で何か語るときが来るとすれば。そのときはこんな風に言うかもしれない。 “テーリー ”は母がニジンスキーの後に出会った唯一の推しであり、フレデリカの後に愛した唯一の女性だった、と。……

 実際には、照子とロモラの交友は完全には途絶えていなかった。
 照子のパリ来訪から2年後の1962年。ロモラはまだ、彼女に定期的に手紙を送り続けていた。
 サンフランシスコからスイスのチューリヒに移り住んだロモラは、日本語のレッスンや手紙の代筆をしてくれる新たな人を探していた。知人のつてを頼って出会ったのが、チューリヒのカール・グスタフ・ユング研究所に留学していた34歳の日本人──河合隼雄だった。

 奨学生としてユング派分析家の資格を得る勉強に専念していた河合は、語学のアルバイトと聞いて一度はその話を断りかけた。しかし、その相手がかのヴァーツラフ・ニジンスキーの未亡人であると知って即座に撤回した。ストラヴィンスキーをこよなく愛する河合にとって、『ペトルーシュカ』を踊り『春の祭典』を振り付けたニジンスキーは雲の上の大スターだ。しかもニジンスキーといえば、このチューリヒでオイゲン・ブロイラーの診断を受けた人ではないか。彼女から、夫の治療をめぐる興味深いエピソードを聞き出せるかもしれない。
 河合はロモラに会う前の予習として、彼女が書いた『ニジンスキー』を3日かけて読み込み、すっかりバレエ・リュスやニジンスキーの精神世界に魅了されてしまった。ある夜など、とうとう自分がニジンスキーになる夢まで見た。研究所の先輩や教授たちはそんな彼の様子に呆れてこう言った。「夢のなかで、完全な他人になるのはすごく難しいのに」

 チューリヒ駅前のホテル・グランドで顔を合わせたロモラは、快活で社交的な老婦人だった。人間を外向型と内向型に二分するなら、間違いなく前者に属するだろう、と河合は分析した。すでに7カ国語が話せる、というのだから大したものだ。実際、母国語のハンガリー語はいうまでもなく、ドイツ語でも英語でも、話しかけられるとほとんど無意識でよどみなく返事をする。語学が不得意だったという「内向型」のニジンスキーとは正反対の人物だ。

「でも、どうして日本語を?」
 河合がそう問うと、ロモラは満面の笑みを浮かべてこう答えた。
「あたくし、宝塚歌劇団の明石照子さんのファンで、彼女にお手紙を送りたいの」
 河合はそのことばを信じた。のちに日本を代表する臨床心理学者として大成する彼の眼力をもってしても、その笑顔の奥にある秘密を見抜くには至らなかった。

 明石照子が予定より1週間も早くパリから帰国したことをいぶかしむ者は、ほとんどいなかった。やはり仕事一筋のトップスターは、花の都の優雅な旅生活よりも汗の匂いのする稽古場が恋しいようだ。スターの年末は多忙だ。宝塚芸術祭の本番が終わるや否や、正月公演の準備が待っている。旅の思い出に浸る暇さえもない働きぶりだ。
 尋ねられたときにだけ、さらりとこう答えた。男役にふさわしいポーカー・フェイスを崩さぬまま。
「ちょっと、ロモラさんの体調が思わしくなくてね」

 だからこそ、その翌々年の春の彼女の告白には、“ムラ”の関係者みなが驚いた。
 明石照子、婚約────!?
  突然のビッグ・ニュースに場がざわつくなか、彼女ははじめて、種明かしをするように相好を崩した。
「パリで自分を見つめ直した結果です」
 相手は、九州・久留米大学の大学院で精神医学を研究する医者の卵だった。東京郊外の精神科病院の子息で、父親も兄弟もみな医者という一族である。勉強漬けの日々を送る青年だった彼は、お見合いの席で紹介された照子をまったく知らなかった。ヅカの人をお嫁にもらうなんて、男冥利に尽きるじゃない。有名人と言われてもピンと来なかったが、そう周りから囃し立てられると悪い気はしなかった。 医者の妻はしっかりした女性がいい、と聞いている。確かにきりっとして、頼もしそうな女性だ。
 結婚したら辞めて、家庭に入るのだろう。当たり前のようにそう思っていた彼を動かしたのは、舞台の上の照子だった。女性ばかりが溢れかえる大劇場のロビーにカルチャー・ショックを受け、女性ばかりが次々と登場して踊り歌う大舞台に仰天し、居たたまれなさのあまり客席で小さく身を縮めた彼であったが、その年の芸術祭賞を受賞することになる、九州の郷土芸能をテーマにした異色作『火の島』を観て考えを大きく改めた。
 ──もはや宝塚は、「良妻賢母」の思想なぞとうに超えているのではないか。……
 彼は照子の出演する舞台にいくども足を運び、出会って1年後の春、ついに決意の言葉を告げた。
「ぼくたち、結婚しましょう。あなたは結婚しても、チャンスがあれば舞台に立ってください」
 それは照子の望みに応える、完璧なプロポーズだった。



  ────負けた。
 と、さわやかに笑えるほどにはロモラの心は癒えていなかった。
 宝塚歌劇団は、結婚後の在団を認めていない。照子も万一の在籍延長の可能性を賭けて団と交渉したが、その願いは叶わず、他の何人かの先輩と同じく東宝に移籍する道を選んだ。その代わりに照子の功績をたたえ、千秋楽の東京公演で、照子が活躍した思い出の名場面を振り返る華々しい一幕が挿入された。今日まで伝統として続く、トップスター退団を記念する「サヨナラショー」の始まりである。

 結婚すれば、団を去らねばならない。
 宝塚歌劇団のその厳格なルールは、ロモラにバレエ・リュスをめぐる過去の記憶を思い起こさせた。ニジンスキーの結婚を知り、怒りにかられて彼を解雇したディアギレフ。ロモラにとって照子の結婚と退団は、半世紀前に起きたあの事件の予期せぬ再来に他ならなかった。
 否が応でも、こんな考えが胸をよぎる。

 ──わたしの暴走が、結果として彼と彼女の“退団”を早めてしまったのかもしれない。

 ニジンスキーにとってのバレエ・リュス。明石照子にとっての宝塚歌劇団。それらは彼らがもっとも輝ける奇跡の世界だったのに。


 照子とふたり、ホテル・ロティの一室で語らった遠いパリの夜。…………
 彼女は、ロモラの強引さを咎めることも、心を踏みにじることもしなかった。
 ただ訥々と、自分自身のこれからの望みを告げた。女として愛されたいこと。 自分にとって女として愛されるとは、男性から愛されるのを意味すること。 ゆくゆくは男性と家庭を築きたいこと。 温かい家庭に憧れていて、自分の手で子どもを産み育てたいこと。 いまは男役としての使命をまっとうするため、プライヴェートまで男性の仕草を真似て生きているけれど、男性の心を持っているわけでも、女性に恋するわけでもないこと。 宝塚歌劇団を去ったあとは、女性の役も演じたいと思っていること。

 夢の世界の男役・明石照子ではなく、 1929年生まれの一女性・村上孝子の喉から発される肉声。ロモラを傷つけまいとするその拙いながらも穏やかなことばの数々は、バレエ・リュスからの解雇通知を受け取ったニジンスキーがロモラにかけた、あのなぐさめの一言を思い起こさせた。
悲しむことなんて、ない。ぼくは芸術家なのだから、バレエ・リュスにいなくても、仕事はできる
 

 あんなにも優しい“神”たちを思いつめさせてしまったのは、彼らに天上の舞台から降りる道を選ばせてしまったのは、他ならぬ自分ではないか。
 どうして、わたしはこんな失敗を繰り返してしまうのだろう。
「どうして」……。


 ──どうしてあなたは、ニジンスキーが百姓女を踊ったときに性的な興奮をおぼえたの?
 ──どうしてあなたは、男性とのセックスを経て生んだ子どもに愛情を寄せられなかったの?
 ──どうしてあなたは、夫になった男性とのセックスのときいつも意識を逸らしていたの?
 ──どうしてあなたは、少年のコスプレをした自分自身を恐れたの?
 ──どうしてあなたは、野性的で男らしいボルムではなく妖艶で中性的なニジンスキーに惹かれたの?
 ──どうしてあなたは、婚約者の綺麗なお母さんにあんなに胸ときめかせたの?
 ──どうしてあなたは、婚約者のキスを拒んで逃げてしまったの?
 ──どうしてあなたは、母親があきれるくらいに男性に無関心だったの?

  ──どうしてあなたは、 舞台の上の人を欲しがってしまうの?
 
 わからない。
 けれど、71年分の膨大な記憶をひとつひとつ剥がした心の中核に、まだ手を触れずにいた古い記憶がある。
 ロモラはかたく目を閉じた。

 ドナウの真珠とも呼ばれる河畔の街ブダペスト。
 ペスト地区の川岸に学芸を護る殿堂として聳えるハンガリー科学アカデミー。その敷地内にかつてあったプルスキー家の住居──
 台車に載せられた巨大なルネサンス絵画が行き交う廊下。ソファに寝そべって台本を読みふける舞台女優の母。 幼くして音楽の才能を現し、朝から晩までピアノを鳴らし続ける姉のテッサ。母の見栄で毎週末に開かれるサロン・パーティー。自分の家のようにくつろぎ、黄金色のシャンパンの泡がはじけるごとにどっと笑う芸術家たち。ほろ酔いの客人たちの間で突然はじまる滑稽な寸劇や、ドイツ・リートの夕べ。いったいどこまでが舞台で、どこからが客席なのか。長女が伴奏のピアノを弾いている間、次女のロモラをかわるがわる膝に乗せてやりながら、アーティストたちが母の耳にささやく。
「このお嬢ちゃんもいずれ、女優か音楽家になることでしょうな」
 すると、むき出しの白い肩をすくめて、どこか気まずそうに微笑む母。
「さあ、どうかしら。何か芽が出るものがあればよいのだけど……」

 美術キュレーターの父カーロイは、1899年、遠いオーストラリアのブリスベンで自殺した。動機はいまもって闇の中だ。ただ、偽画の購入をめぐってスキャンダルを起こし、その責任を取らされたのだと噂されていた。ハンガリーの名家に生まれ、古代から19世紀のロマン主義に至るあらゆる芸術の教養を身につけ、美を選定する職に人生を捧げた彼が、最後には自分の脳を砕いて死んでしまった。最愛の娘にこんな最後のメッセージを残して。

小さなかわいいロモラ──わたしはおまえを誇りに思っている。忘れないでくれ。おまえがやがて学校で教わることは、おまえが学ぶべき物事のごく一部に過ぎないことを

 芸術を見出し、芸術に価値をもたらす仕事の重みと恐ろしさ。 それを父は身を持って示してくれたのかもしれないのに。この世界で失敗すれば、自分の命を失うか、誰かの命を奪ってしまう。そう教えてくれたのかもしれないのに、わたしはその意を汲み取れなかった。

 いや、たぶん潜在的には感じるところがあったのだ。だからこそわたしは心を閉ざした。何事にも首を突っ込みすぎず、芸事も勉強もほどほどで、 恋もしない、贅の上っ面を楽しむだけの、ぼんやりした少女になった。予知夢という名の悪夢に襲われて泣きながら目を覚ました深夜、人気の絶えたサロン・ルームに駆け込み、亡き父の革張りの蔵書コレクションをめくるのだけがほっとできる時間だった。おまえはここにずっと居たっていいんだよ。大好きな父の低く甘いささやきが聴こえてくるようだった。わたしがおまえに遺せた唯一の安全な蒐集品。偉大なる前世紀の遺物。ここでおとなしく過ごしてさえいれば、誰もおまえを殺しに来ないし、おまえが誰かを殺してしまう危険もないのだから。……

 それが一変したのが、忘れもしないあの運命の日。
 目の前に躍り出たひとりのアルルカンだった。

 彼をもっと知りたくて、バレエや舞台芸術について一生懸命に勉強した。舞踊史の本を読み漁り、自らバレエのレッスンも受けた。そこまではよかったのに、それだけでは終われなかった。お金を払って小さな座席ひとつの権利を買うにとどまらず、オペラグラスを目に押し当てて彼の指先から爪先までを凝視するにとどまらず、舞台に咲く艷やかな薔薇の花を手折りたいと願ってしまった。高く飛翔した次の瞬間に、自分の人生の側に飛び降りてきてほしいと願ってしまった。

 いったい、「どうして」。………………


 もうこんな年寄りになったというのに。人生は「答え合わせ」ができない謎だらけだ。
 河合隼雄との日本語レッスンの約束を思い出し、ロモラはホテルを出た。心理学クラブが併設されたユング研究所は、チューリヒ湖の北端に近いゲマインデ通りの一角にあった。

「なるほど、自殺……」
 河合は、ロモラの話に身を乗り出した。
 彼女の父の話ではない。ニジンスキーの精神治療中に起きたある事件についてだ。彼らの日本語レッスンは、ロモラのおしゃべり好きと河合の聞き上手のおかげで、大きく脱線するのが常だった。ニジンスキーの治療に関心がある河合にとっては願ったり叶ったりである。
 ニジンスキーは、チューリヒでのブロイラーの診療を経て、ルートヴィヒ・ビンスヴァンガー経営の私設サナトリウム“ベルヴュー”で長い治療生活を送った。 ビンスヴァンガーはかつてユングと共同実験を行った仲もあり、その縁あって、ユング研究所はいまでもこのサナトリウムと親しい関係にある。ロモラは、一時期こそビンスヴァンガーに不信感を抱き、ニジンスキーを強引に退院させたものの、その後は彼にふたたび信頼を寄せて治療をゆだねるようになった。
 ところが、 あるときビンスヴァンガーの長男が自殺してしまう。この事件は患者たちの家族を動揺させた。もちろんロモラもその例外ではなかった。精神病の夫を預けていた病院の院長の家族が精神に異変をきたし、悲劇を起こしてしまったのだから、当然といえば当然だ。
 しかし神妙にロモラの話を聞いていた河合は、はっと思い至った。
 ビンスヴァンガーは、 のちに「現存在分析」という理論を生み出している。患者の幼少期や過去に精神病の原因を見出すのではなく、現在に求めようとする考え方だ。ひょっとしたら彼は、息子の自殺という悲劇を体験し、死してなおその原因を遡ることの限界を痛感した結果、この理論を見出したのかもしれない。
 ニジンスキーもまた、現存在分析を用いた治療を受けたのだろうか。晩年のニジンスキーは、ひところの最悪な時期よりもずいぶん回復して、穏やかに過ごしていたと聞いている。 インシュリン療法でも他のあらゆる療法でもなく、「過去に原因を見いださない」というビンスヴァンガー式の療法こそが、彼を救ったのかもしれない。…………


 強い視線を感じ、河合は顔を上げた。
 こんな話をしたかったわけじゃない、と言いたげな老婦人の顔がそこにある。すみません、レッスンに戻りましょうか。そう言って日本語に頭を切り替えようとした矢先、ロモラはそれをさえぎるように口を開いた。
「誰にも言っていないのだけど、あなただけに聞きたいことがあるの」
 河合はわずかに目を見開いた。

「ニジンスキーは、ディアギレフとの愛を維持することによって踊り続けていたのではないかと思うんです。あのふたりの間にわたしが割り込んで結婚したせいで、彼は病におかされてしまったのでしょうか」

 長い沈黙のなか、彼はロモラの顔を見つめ返した。
 これほどに切実なまなざしをした彼女と相対するのは初めてだった。

 もしビンスヴァンガーならこう言うでしょうが──
 そう前置きしようとして、やめた。いま、彼女の目の前にいて、彼女の問いを受け止めねばならないのは、自分なのだ。河合隼雄のことばで応えるべきだろう。
「ニジンスキーは……」
 河合はふたたび口を開いた。
「同性愛も異性愛も味わい、人生の一瞬だけ檜舞台に立ち、そして病になった。しかし精神の病とは、非常に深い宗教の世界に入ったともいえるものです。そうした軌跡全体が彼の人生というものであって、何が原因で結果だとか、そういう考え方はしないほうがいいのではないでしょうか」

 ──あなたの人生もそうではありませんか? ロモラ・ニジンスキーさん。 

 河合が言外にそのニュアンスを匂わせたかどうかはわからない。
 しかし、ロモラはうなずいた。血色の戻った頬に微笑みを浮かべながら。告解を終え、赦しを得た罪人のように、長いため息をついて。
「ほっとしました。これはずっと、わたしの心のなかにあったことなんです」
 

 もう、「答え合わせ」の旅を終わらせても大丈夫ですよ。
 河合がそう言ってくれたような気がした。それは、自分が悔い改めるにはもう老いすぎているからだろうか。どうせこのひとは悔い改めたりしないと思われているのだろうか。わからないけれど、精神にかかわる職業人が発することばが、人生ではじめて胸にしみた。

 河合の見送りを断って、ロモラはひとりユング研究所を出た。
 手には、河合が代筆してくれたテーリー宛の手紙。当人同士でしかわからない、淡い未練をにじませたことばの群れ。これはもう送るべきではないかもしれない。 一旦、ハンドバッグにしまいこんだ。少し散歩をして、自分ひとりの部屋に戻ろう。戻ったら、仕事をしよう。ニジンスキーを推すための新しい仕事を。映画の計画だって、まだあきらめてはいない。それに、テレビ局からの出演依頼にも返事をしなければ。たっぷり働いて、たっぷり眠ろう。そうすれば、もし未来への不安をあおる予知夢を見たとしても、薔薇の精が亡霊となって自分を呪うために現れたとしても、ちゃんと現実の朝がやってくる。


 ブダペストからパリへ、ロンドンへ、北米と南米大陸へ、そして日本へ。推しを追いかけて世界を駆けめぐった70代の彼女の足は、長く濃い影を背後に落としながらも、アルルカンのダンスのように軽やかに、日没間近のチューリヒ湖に面した大きな橋を歩んでいった。 




「わたしが推した神」(Web版)完
最後までお読みいただきありがとうございました。
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