Writer/文筆家

【連載】『わたしが推した神』ACT3-3 My baby, Terry.

 
 ──これはいったい、どういうことなのだろう。
 照子は、目の前で起きている出来事に困惑していた。
 自分の薬指に、人肌の温かさが残る金色の指輪がはめられる。
 相手が男性であれば、それは紛れもなくプロポーズだろう。けれど、目の前にいるのは老婦人。しかもそのリングは、つい先ほどまで彼女の薬指におさまっていたものだった。

 1年前に演じた『戯れに恋はすまじ』のワンシーンが胸によぎる。
「ごらん、これはシルヴィアとの許婚の約束の指輪だ」
 戯れの恋の相手である小間使いのロゼットの鼻先に、指から外したリングをちらつかせ、皮肉っぽい微笑みを浮かべるロベルト。
「しかしこんな物は今の僕には不要になった!」

「まあ、ロベルト、そんなことをしては」
 ロゼットのセリフを真似てまぜかえそうとしたが、いま目の前にいる女性は、戯れとはほど遠い真摯なまなざしでこちらを見つめ返していた。
「テーリー。あなたに夫の面影を求めて日本に来たけれど、いまはもうあなたはマイ・ベイビーのようなもの」
 ベイビー…… “赤ちゃん”?
 赤ちゃんって、なんだろう。英語のニュアンスがわからない自分がもどかしい。かといって真正面から訊き返す度胸もない。照子はただただ呆然と、ロモラ・ニジンスキー未亡人の唇を見つめていた。
「マイ・ベイビー。返事はいまでなくてもいい。けれど、わたしと一緒にアメリカに行きましょう。歌を勉強したいなら、パリでも構いません」
 相手が男性であれば 、それは紛れもなくプロポーズだろう。 けれど、目の前にいるのは──── ?

 老婦人が放ったのは、照子の想像力をはるかに超えた提案だった。
「つまり……わたしの“養女”になってほしいの」

 ──これはいったい、どういうことなのだろう。
 ロモラの次女タマラは、母からのエア・メールを前に困惑していた。
 封筒から現れた、東京・帝国ホテルの便箋。そこには、日本旅行の一部始終と、ご執心の日本人女優“テーリー”のことが、踊るように生き生きとした筆跡で綴られていた。

 あまりいい思い出とはいえない幼少期のパリ暮らし以来、長いあいだ疎遠だった母との交流は、数年前から復活していた。
 再会した母は、幼い頃の記憶とはまるで異なっていた。貴婦人然とした上品な顔立ちの、家事がおそろしく苦手で、どこかよそよそしい雰囲気をまとった痩身の女性は、身振り手振りの激しい、おしゃべりで、でっぷりと肥った老婦人になっていた。直近の旅の思い出話やら、今後の執筆予定やら、ニジンスキー作品にかかわる訴訟案件やら、ありとあらゆる近況を怒涛の勢いでしゃべりまくる。同席した夫のラズロが、その勢いに呑まれて口をぽかんと開けているのを見て、タマラは深いため息をついた。昔よりはマシにせよ、この人はやっぱり苦手だ。
 それでも、母が年下の女友達に接するように気さくに声をかけてくれるのはうれしくもあった。いまとなっては頼りにしている面もあった。1956年にハンガリー国民がソビエト連邦への反乱を起こし、政情が不安定になった折にも、ロモラはタマラと夫を ブダペストから脱出させる手助けをしてくれた。それだけではない。ブダペストの人形劇団で働いたキャリアを生かして、カナダでも夫と共に人形劇団を作って活動したいと言うと、喜んで支援を約束してくれた。

 こんな出来事もあった。新天地で子ども向けの人形劇の興行を成功させたタマラは、大人向けの興行として、バレエ・リュス作品のひとつ『薔薇の精』を人形劇で上演することを思いついた。ところが彼女自身は、父がかつて何度も踊ったこの作品を実際に観たことがない。困っていたところ、奇しくもロモラを乗せたアメリカ発ヨーロッパ行きの飛行機が、エンジントラブルのためモントリオールに不時着した。タマラと夫はすぐさまロモラが泊まる仮宿に乗り込み、煙草をふかしながらパジャマ姿でベッドに寝そべる母に、『薔薇の精』の内容を教えてほしいと懇願した。
 するとロモラはベッドから降り、これからセンター・レッスンをはじめるダンサーのように床の上にすっくと立った。夫がウェーバーの「舞踏への勧誘」の音楽をハミングするのにあわせて、ロモラは腕や脚を動かしながら、薔薇の精と少女の立ち位置やアーム・ポジションや動作のひとつひとつを説明してくれた。タマラは慌てて、ホテルの紙ナプキンを広げてメモを取った。母の記憶は生ける舞踊譜のように完璧だった。思い出をたどりながら、徐々にうっとりと瞬き出した淡いブルーの瞳には、1910年代のバレエ・リュスの舞台と、妖しげに微笑む父ニジンスキー、そして夢見る少女役のタマラ・カルサヴィナの姿が映っていた。

 感激の震えが全身を走った。
 伊達にニジンスキーに人生をかけてきた人ではない。

 主婦に向いていないのに、主婦になってしまった。子どもなんて本当はほしくなかったのに、成り行きで作ってしまった。 そんな女性だって居て当然だろう。亡き夫を偲んで生きる日陰の未亡人とはほど遠い、パワフルで活動的ないまの母を見ていると、そう納得せざるを得なかった。自分はたまたまそういうタイプの女性の腹から生まれてしまっただけだ。誰を責めても仕方がない。祖父母からは並の親に勝るくらいの愛情を受けたし、決して不幸な少女時代だったわけではない。それに最近では、手紙でこんな謝罪の一言を伝えてくれたりもした。「わたしは、キュラとあなたをあのとき手放すべきではなかったと思っている」と。

 母の明石照子への執心を知ったのは、そのことばにひそかに涙した矢先だった。
 母を許してもいいと思っていた。母との愛を紡ぎ直すこともできると思っていた。でも、これまであれほど実の娘に構ってこなかった母が、つい先日出会ったばかりの若い東洋人女性を、自分の新しい娘にしたいと願っているとなれば話は別だ。

 母はいったい、何を考えているのだろう。
 思いをめぐらせ、はっと息を呑む。
 両親や姉や伯母とのパリ生活のあと、祖父母に再び引き取られてブダペストに暮らしていた頃。ニューヨークから届いたロモラの手紙を読んで、祖母のエミリアもやはり困惑の表情を浮かべていた。祖母はその手紙を決して見せてくれなかったし、母が自分に送ってくるのは、自由の女神やエンパイア・ステート・ビルディングを配したありふれたポストカードだけだったから、結局、何が書かれていたかは知る由もなかった。
 けれど、祖母は亡くなり、ブダペストから持ち運んできた遺品はいま自分の手元にある。

フレデリカが最後の呼吸をし終えたときに、わたしは自分自身も消えてしまったように感じたの」「わたしにはもう生き続ける意志はない」「早く天国で彼女に再会したい
わたしは、母親や子どもに対する生まれ持った愛ではなく、自由意志でもって選んだ人に対する愛について言っているの。わたしにとっては、ヴァーツラフとフレデリカだけがそういう人でした。彼らはふたりとも、心と魂に善をもっています

 30年の歳月と第二次世界大戦の戦火をくぐりぬけた埃と黴にまみれた便箋を前に、タマラはしばしことばを失った。
 それは、フレデリカなる見知らぬ女性の死と、彼女への愛を綴った手紙だった。
 先ほど受け取った日本からの手紙とは似ても似つかない、心の憔悴が伝わってくるような弱々しい筆跡だ。いまにも消えてしまいそうなくらいの。
 大量の手紙の束をひっくり返し、もう少し日付をさかのぼると、リア、という名も出てきた。これはひょっとして、ニューヨークで客死したというあの夭折の大女優リア・デ・プッティだろうか。

 たぶん、年老いた祖母には理解できなかっただろう。もう40歳を過ぎた既婚者の娘が、数年前に出会ったばかりの年下の女友達の死になぜここまで我を忘れたようになっているかを。夫と並ぶ存在であると断言しているかを。

 けれど、……自分にはわかる。1960年代を迎えようという時代に生きているからこそ。自分もまもなく当時のロモラに並ぶくらいの年齢になるからこそ。そして、かのヴァーツラフ・ニジンスキーを父にもつ娘だからこそ。
 母は、たぶん。

 ──これはいったい、どういうことなのだろう。
 日本文化研究者のドナルド・リチーは、沈痛な面持ちの来客に困惑していた。
 最初に会ったときには、まるでヘンゼルとグレーテルに出てくる魔女のようだ、と思った。眉毛を不自然につりあげ、血よりも赤いルージュを厚く塗り込み、首や指や手首に宝石という宝石をぶらさげた、いかにも成金の老婦人。浮き浮きと宝塚の劇場の華やぎや贔屓についてしゃべるさまは、神戸や芦屋の“ヅカファン”の奥様そのものだ。

 それが、再会した今日はびっくりするほど上品で洗練されている。服はシンプルになり、アクセサリーは減り、化粧は薄くなった。真っ直ぐに通った長く美しい鼻筋に、若い頃の面影が漂う。そして洗練されたにもかかわらず、しじゅう哀しげな表情を浮かべている。ご贔屓はその後どうです? と何の気なしに問うと、彼女は首を振った。
「お金はあるけど──プレゼントがとってもたくさん必要で。成人の日、こどもの日、天皇誕生日、彼女の誕生日、それから──」
 リチーは目をむいた。「祝日のたびに、いちいちプレゼントをあげているんですか?」
 天皇誕生日はナシでもよいでしょう。そう突っ込みたくなったが、心底しょげているらしい様子を見て口をつぐんだ。そもそも、何をこんなに落ち込んでいるのかよくわからない。贔屓にたっぷりと貢ぎ物をする。その見返りとして銀橋を颯爽と歩くスターを一等席で仰ぎ、その美と芸に酔いしれる。金持ちの未亡人の道楽としてまことに結構ではないか。
「ドナルド、教えてちょうだい。あなただったらどうする?」
「どうする、とは何です? わたしが?」
「つまり、……あなたってことじゃなくて。いったいどうすればいいの? この国では、こういう人たちに対して。難しいの。わたしにはわからない」

 おそろしく持って回った言い回しの前に、リチーは鋭く目を光らせ、居住まいを正した。「つまりそれは……」問いかけ直して、また打ち消す。
 たいへんな告白を聞いてしまった。
 もっとも、客人からこの手のカミングアウトをされるのは珍しくない。リチーはバイセクシュアルであることを公にしていた。20代の終わりから日本に住み始めたのも、同性愛者のバーやダンスホールの摘発が絶えないアメリカよりも、罰則のない日本のほうが、男性のパートナーと過ごすには好都合だったからだ。いまは日本文化の紹介や映画評を書く仕事に明け暮れ、いずれは同性愛をテーマにした映画を撮りたいと夢見ていた。日本を訪れる文化的な要人のおもてなしも仕事のひとつと自負しているが、わざわざ2回以上やってくる客には少なからず何かがある。思いつめた表情。遠回しな問いかけ。意味深長な目配せ。
「いったいどうするの? 日本人の女の子たちは」
「存じませんね。……たぶん、指で?」
「違うの、それは知ってる」ロモラはぴしゃりと言った。知ってる。その一言にリチーは眉を寄せた。なるほど、故国から遠く離れた東洋の庵で交わすにはぴったりの話題に違いない。
「そうじゃなくて、わたしが言ってるのは“機会”のこと」

 この人は、何か根本的に思い違いをしているのかもしれない。
 60代。20世紀前半の欧米のゲイ・カルチャーにどっぷりと浸かった世代だ。バレエ・リュス自体がそういうムーヴメントの一部だったし、彼女自身も、ともすると家庭を離れてパリ左岸やニューヨークのハレムでさまざまな女性たちと交わったのかもしれない。そんな経験をした人にとっては、宝塚歌劇や歌舞伎の舞台は、オリエンタルの魔法が散りばめられたクィアな創造物に見えるだろう。
 しかし宝塚歌劇の理念はもっと保守的だ。「清新にして高雅なる娯楽」を団の理念に掲げ、生徒は「一生懸命に技芸に勉強に品行方正に、質素に、真面目に」稽古に励んで舞台を作り上げる。小林一三は、日本発の歌劇を創るという壮大な夢を抱く一方、生徒に対しては、「家庭の人」「理想の奥さん」になることを目指してほしいと訴えた。舞台に立つために励む歌や踊りの稽古も、文化的教養も、すべては良妻賢母にふさわしい健康美を手に入れるための下地だ。宝塚は芸能界ではなく、女子校や花嫁学校の派生形なのだから。

 むろん、それだけが宝塚の本質とはいえない。「宝塚歌劇が少女をレズビアンにさせる」という非難は定期的にメディアを賑わせていたし、過去には実際に同性愛スキャンダルだってあった。そうしたバッシングをかわす苦肉の策としての「良妻賢母」像であったともいえる。
 ましてやトップスターたる明石照子の芸を、嫁入り前のお稽古事というのは無礼の極みだろう。それに、彼女がその芸でもって、ことばさえもおぼつかない外国の老婦人を恋に落としたのはすでに事実なのだから──。

「お気を確かになさい」リチーにできるのは、ロモラをやんわりとたしなめることだけだった。「あなたはもうお歳なんですよ」
 それでもロモラはしょんぼりしている。「それに、彼女は日本の宝塚女優なんですから」やんわりと追い打ちをかけながら、リチーの方もため息をついた。
 口ではそう言うが、奇跡がないとも言い切れないのが人生だ。なにしろこの人はかつてあのヴァーツラフ・ニジンスキーを手に入れたのだ。もともとはただのファンだったと聞いている。彼女の何がニジンスキーを惹きつけたのかはわからないが、同じことが2度起きないとは断言できない。
「テーリーは、パリには興味があるみたいなの」
「なるほど。いいじゃないですか」うっかり、助け舟を出してしまう。「彼女を誘って、連れていけばいい」

次回更新は2021年12月3日(金)です。