Writer/文筆家

【連載】『わたしが推した神』ACT2-15 答え合わせの瞬間

 

 ロモラがやってきたのは、アメリカの映画産業の中心地であるカリフォルニア州のカルバー・シティだった。

 1910年代に麦畑を切り開いて開発された、人口5000人に満たない小さな街だが、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー・スタジオ、カルバー・スタジオ、ハルローチ・スタジオなどの大手スタジオが立ち並ぶ映画特区として名を馳せていた。チャップリンと並ぶ無声映画のスター、ハロルド・ロイドの作品もこの街で制作されている。
 映画業界はいまが旬なだけあって、仕事を得る機会はすぐにめぐってきた。雑用仕事をなんとかこなし、給金をもらって、スキルアップに励む。聖書に題材を得たいくつかの神秘劇の制作にスタッフとして参加し、脚本を書く勉強も始めだした。

推しを映画化したい…………!」
 その夢を掲げた日から、ロモラは生きるエネルギーを取り戻していった。
 いうまでもなく、映画は大がかりなプロジェクトだ。監督やキャストやスタッフはもちろん、スポンサーも見つけなければならない。音楽家や美術家の協力も不可欠だ。何よりバレエ・リュスからも許可を得ねばならない。アンチ映像派のディアギレフをうなずかせるのは至難の業に違いなかったが、文句を言えないほどすばらしい製作陣を用意してやればいい。分厚い片眼鏡に覆われたあの眠たげな眼が、ロモラの書いた企画書を前に光を宿しはじめるのを想像したら、笑いがこみ上げてきた。同じ推しを推す同士だ。絶対に納得させてやる。

 あの街にはいい役者がいる。あの人なら映画にお金を出してくれるかも。チャンスがあると知れば、ハリウッドにでも、ロサンゼルスにでも、ニューヨークにでも、ヨーロッパの都市にでも、どこにでも行った。「ヴァーツラフ・ニジンスキーの妻」というカードは最強だ。単なる野次馬根性であっても、とりあえずみんな話を聞いてくれる。おかげでヴァイオリニストのフリッツ・クライスラーや、作曲家のイグナーツ・パデレフスキといった大物文化人とも縁を結んだ。世界各地を飛び回るロモラを「さまよえるオランダ人」と呼んでからかう人もいたが、もはや燃えさかる情熱を止めることはできなかった。やれウィーンだ、次はパリだとバレエ・リュスの巡業にくっついて回った日々が再び戻ってきたかのようだった。

 ひょっとしたら、自分は最初からこれをやりたかったのかもしれない。
 推しの魅力を世の中に発信したり、推しを輝かせるコンテンツを作る仕事を。……

 そんな風にさえ思った。よく考えてみれば、一ファンとしてバレエ・リュスの興行を追いかけていた頃は、自分が「ニジンスキー推し」であることを周りにひた隠しにしていたのだ。結婚後も、ロンドン公演ではニジンスカから邪魔者扱いされるし、その後は戦争に巻き込まれるしで、自分自身が表立って推しをアピールする幕はほとんどなかった。妻であるからには、出しゃばりすぎず、内助の功に徹さなければいけないような気もしていた。だからこそディアギレフとのギャラ交渉の場では好戦的に立ち回ったわけだが、自分がギスギスした人間関係の源になっている状態は少なからずストレスだった。
 そんな過去とは訣別して、自ら主体的に「推し活」を実践できるとは、なんと楽しいのだろう。

 手始めに、映画の原作になりうるような伝記を出版する。
 そんなアイデアも持ち上がっていた。すすめてくれたのは仕事先で出会った女友達のひとり、フレデリカ・デツェンチェだった。ロモラよりもずっと若く、背の高い知的なオランダ人女性で、ロモラの身の上や夢を知ると目を輝かせてこう言ってくれた。
あなたが書いたニジンスキーの本を読みたい
 そのことばに勇気づけられ、ロモラはアメリカ国内の複数の出版社に出向いて交渉をはじめた。初対面の編集者の前でも物怖じせず、懸命にニジンスキーのダンスの魅力と、それを世に伝える意義をプレゼンしまくる。自らペンを執る自信は、実際にはまだなかった。でも、もしも腕の立つゴースト・ライターの力を借りるにしても、ロモラ自身の実体験や知識が最大の情報源になりうることは疑いようがなかった。
 ということは、わたし自身がことばにしなければならないのだ。わが推しの魅力を。1912年3月のあの日、自分の前にひょっこりと現れたアルルカンの色気と躍動を。
 ──そう、あのときの彼はまるで猫みたいだった。
 在りし日のニジンスキーの幻影を思い浮かべて、ことばをノートに書いたり、消したり、試行錯誤を繰りかえす。そんな作業もまたとびきり楽しかった。

 わたしはニジンスキーと「結婚したい」わけではなかったのかもしれない。……
 そんな疑惑が脳裏にちらつきはじめたことに、ロモラは微かな戸惑いと怯えを感じた。「彼に会えなくてとてもさみしい」──母宛ての手紙に綴るニジンスキーへの想いは決して嘘ではなかったが、慌ただしくも充実した日々を送るなかで、その心もわずかずつ揺らぎだしていた。

 映画業界には、多種多様な国籍の人びとがひしめいている。
 しかし、やはり同郷の人とは話がはずみやすい。さまざまな現場を渡り歩いていちばん打ち解けられたのは、ハンガリーにルーツをもつ業界人だった。ハンガリー系ユダヤ人で、のちに『マイ・フェア・レディ』でアカデミー監督賞を受賞した映画監督のジョージ・キューカーや、『第三の男』の制作者としてやがて大成するプロデューサーのアレクサンダー・コルダとも親しくなった。
 そんな風にネットワークを広げるなか、ハンガリー出身の若手女優、リア・デ・プッティに出会ったのも自然な流れだった。

 ベルリンにあるドイツ最大手の映画会社ウーファ・スタジオで、彼女はサイレントのコメディ映画『シャルロッテ』の撮影を行っていた。
 驚くほど大きな瞳と、頬に豊かな陰影を作るツンと尖った鼻と、濃いリップが似合うぽってりとした小さな唇が、フィルムの上でよく映える。流行の重たく存在感のある黒髪も、スクリーンの上で光沢を放つ金髪も見事なまでに似合っていた。モノクロ・フィルムの申し子のような女優だ。ハンガリーからルーマニア、ドイツ、アメリカまで、さまざまな国の映画で主演を張っていて、毎年4、5本の撮影をこなす売れっ子だった。聞けば、父親はイタリア系の男爵、母親はブダペストでもよく知られた伯爵家の出だという。ルーツでいえばロモラと同じく「ブダペストのお嬢様」だ。ロモラよりも、相手の方がそれに喜んで強く食いついてきた。
 年齢はロモラより5歳下。これまでは、コケティッシュなファム・ファタル(魔性の女)役で人気を博していた。男たちを翻弄する美女マノン・レスコーを演じたこともある。若手のポジションから外れる年齢を迎えつつあるいまは、この『シャルロッテ』のような軽妙なコメディにも挑戦して方向転換を模索しているという。一度はアメリカにも進出したが、ハリウッドで撮った数作の映画の評判はかんばしくなく、これからの女優人生をどうすべきか悩んでいた。

 ──とにかく、妖婦(ヴァンプ)とか悪女とか呼ばれるの、もう飽き飽きしちゃった。
 ビューロー通りのナイト・クラブで、ため息をつきながらシャンパン・グラスを傾ける彼女の姿は、セリフに反して妖艶だった。
 ──というわけで、わたしには今後の活動を支えてくれる人が必要なの。いまは彼氏のヴァルター・ブルメンタールがマネージャーをやってくれてるけど、そういう人がもうひとりいたらいいなと思ってたところ。
 ロモラ。あなたも、わたしのマネージャーになってくれない?

 報酬として、ニジンスキーをもういちどサナトリウムに入院させるための高額な費用を払ってくれるという。ロモラは喜んでその仕事を受けた。姉テッサから、彼の具合が近ごろかんばしくなく、面倒をみるのも限界だと聞かされていたのだ。 まさに願ったり叶ったりだ。
 リアの提案はそれだけではなかった。ありがたいことに、自分の部屋に一緒に住まわせてくれるという。
「どうしてこんなに親切にしてくれるの?」
 そう尋ねると、彼女はロモラの母エミリアの名前を挙げた。10代の頃、ブダペストのミュージック・ホールでデビューした折に、先輩女優のエミリアに便宜を図ってもらったのだという。そのおかげでリアは映画『皇帝の軍人』への出演のオファーを受け、銀幕と劇場の両方で華々しくキャリアを開くことができた。主演女優としてのプライドが高い母が、若手の育成を支援しているとは意外だった。

 ニューヨーク・マンハッタンのバッキンガム・ホテルのスイート・ルームで、ふたりの共同生活ははじまった。国内外からニューヨークを訪れる芸術家御用達のホテルで、新しいコネクション作りにもうってつけの環境だ。映画出演の報酬と実家の財産で潤っているのか、リアの金遣いはロモラとは比べ物にならないくらいに派手だった。居候の身としてはただただ感謝するよりほかない。アメリカでリベンジしたいと考えている彼女のために、そして治療費を必要としているニジンスキーのために、頑張って働かなければ。
「あまりその子と仲良くしすぎるのもどうかしら?」
 母エミリアがそんな手紙を書き送ってくるのを、ロモラは不思議に思った。思いがけず有名になったリアにひそかに嫉妬しているのだろうか。あるいは、女ふたりが一緒に生活すること自体が、母の想像の範疇を超えているのだろうか。
 同じ街生まれの、同じ業界の、同じ30代どうしの、素敵な女友達との共同生活。いったいそれの何が悪いのだろう? アメリカでもヨーロッパの大都市でも、女子大学生や働く婦人たちがひとつ屋根の下で暮らすのはいまどき珍しくない。母の若い頃には、もう、そういう女性はいっぱい居たはずなのに。……

 とはいえ、自身も箱入り娘で、女性は誰もが必ず結婚するものと思っていたロモラにとっても、働きながら共同生活をいとなんでいる中流の女性たちの姿は新鮮だった。互いの結婚を機に同居を解消する場合もあったが、なかには「わたしたちは親友で、人生のパートナー」と公言している女性たちもいた。30年間にわたって共同生活を送った女子医科大創立者のエミリー・ブラックウェルと外科医のエリザベス・カッシャーや、作家のキャサリン・アンソニーと教育者のエリザベス・アーウィンのペアは、若い女性たちにとってレジェンド的な存在だった。

 もっと早くそういう生き方に出会っていたら、自分の人生も少し変わったかもしれない。
 パリでの“普通の家庭生活”より、このニューヨークでの大人の女ふたりの生活のほうが自分にずっと合っている。そうロモラは感じていた。

 ところが、平穏だったふたり暮らしに変化が起きだした。

 いつからだったのかは、ロモラ自身も思い出せない。
 自分が気づいていなかっただけで、出会った当初からその兆候はあったのかもしれない。
 だが、リアがある時期を境に、露骨に身体的なスキンシップを取ってくるようになったのは確かだった。不意にしなだれかかったり、頬や耳元に唇を寄せてきたり、いやでも目に入るほどゆっくりと服を着替えて、わざとらしく太ももをのぞかせたり。
 リアが性的に奔放な女性であることは、映画業界人ならば誰でも知っていた。まだ30代になって間もないのに、すでに2回の結婚と離婚を経験し、過去の色恋スキャンダルは数しれず。恋人がいなかった時期はなく、いまだって、もうひとりのマネージャーであるブルメンタールと交際している。同性ともセクシュアルな関係を持てる女性だったとしても、とくに驚きはしない。 バレエ業界にも映画業界にも、文学やアートやブロードウェイの界隈にも、「そういう人」はいくらでもいる。ジークムント・フロイトにかぶれ、オスカー・ワイルドをリスペクトし、機会あらば冒険的な一夜を過ごしたい人びと。いうなれば、ニジンスキーだってそうした世界の中核にいたのだ。
 たぶん出演映画の評判が悪くてくさくさしているのだろう、とロモラは察した。アメリカは禁酒法が敷かれているいうのに、どこの闇市で手に入れたのやら酒の量も増えるばかりだ。八つ当たりか気晴らしで、いちばん身近にいるロモラにちょっかいを出しているだけだろう。
 そんなお遊びにつきあっている場合ではない。ファム・ファタール役を卒業したいと希望しているのは彼女自身なのだから、プライベートでもそろそろ悪女ごっこは控えてもらわなけば。彼女の次の仕事が大成功して、気持ちが落ち着くようにサポートしてあげよう。それがマネージャーとしての、年上の女友達としてのつとめだ。
 だから、いまは受け流さなければ。
 抱きつかれそうになったら、やんわりとかわさねば。
 あのうるんだ大きな眼でこちらをじっと見つめてきても、視線を返さないようにしなければ。……
 
 

 ロモラはベッドの上で、何度目かわからない寝返りを打った。
 いま寝たら、絶対におかしな夢を見てしまう。フロイトの症例にお誂え向きな夢を。
 そう思うと目は冴えていくばかりだった。真夏でもないのにひどく暑い。パジャマを脱ぎたかったが、ホテルの滑らかなシーツに素肌が触れるのがなぜだか怖かった。背をぎこちなく丸めて、もういちど寝返りを打つ。
 過去のフィルムで、リアのトップレスの姿は見たことがあった。おまけに一緒に暮らしていれば、わざとでなくたって、はだけた胸や華奢な足首が視界に入るタイミングはいくらでもある。いちいち気にするまでもない。
 でも、いま、隣のベッドからきこえる小さな寝息。
 シーツの上に投げ出されたしなやかな二の腕。
 密造ブランデーと香水と体臭の入り混じった匂い。……
 ひとたびその肉体の生々しさと存在感を意識すると、もう頭の中がそれでいっぱいになってしまう。

 
 何が起きているのか、自分でもわからない。
 わかるのは、ニジンスキーの身体がベッドの隣にあっても、こんな風には一度もならなかったということだけだった。
 舞台で踊っているニジンスキーの身体を見るのは、ロモラにとって無上の喜びだった。ブダペストでの軟禁生活中に百姓女のダンスを踊ってくれたときには、そのセクシーな挑発に魅了されるあまり、つかまえてベッドの上に組み敷きたいとさえ思った。けれど、実際のベッドの上では、自分はいつも身体に侵入される苦痛に目をかたく閉じていた。舞台の上であれほど憧れた身体が、一糸まとわず自分の腕の中にあるのに、そして自分自身も同じ姿で相手の腕の中にいるのに、頭の中ではいつも必死で意識をそらそうとしていた。これは現実じゃない、とでも言い聞かせるように。これは自分じゃない、これは彼じゃない、これは男じゃない。

 けれど、リアは違う。
 浴室に向かう前に彼女が脱ぎ捨てていった薄桃色のシルクのシュミーズが、ベッドの上にひとつ。
 それにさえも、抗えないほどの引力を感じる。彼女の吐息や、匂いや、腰まわりの曲線を残したその温かな抜け殻に。

 ニンフが落としていったスカーフを岩の上に置いて、ひとりでマスターベーションにふける牧神。彼のうめくような吐息が、弓なりに反る背中が、震えるほどの快楽が、1912年5月にパリのシャトレ座で観たあの舞台が、時間と場所の隔たりをはるかに超えて、ロモラ自身の心と身体に重なっていく。

 ──性って、なあに?

 解かずにやり過ごしたさまざまな謎が、目の前に次々と立ち現れる。

 
 ──どうしてあなたは、母親があきれるくらいに男性に無関心だったの?
 ──どうしてあなたは、婚約者のキスを拒んで逃げてしまったの?
 ──どうしてあなたは、婚約者の綺麗なお母さんにあんなに胸ときめかせたの?
 ──どうしてあなたは、野性的で男らしいボルムではなく妖艶で中性的なニジンスキーに惹かれたの?
 ──どうしてあなたは、少年のコスプレをした自分自身を恐れたの?
 ──どうしてあなたは、夫になった男性とのセックスのときいつも意識を逸らしていたの?
 ──どうしてあなたは、男性とのセックスを経て生んだ子どもに愛情を寄せられなかったの?
 ──どうしてあなたは、ニジンスキーが百姓女を踊ったときに性的な興奮をおぼえたの?

 ──どうしてあなたは、いま、わたしに触れたいという気持ちを止められないの?

 ────来たんじゃない? あなたの人生の答え合わせをするときが。
 浴室の扉が開く音がする。
 泉から上がったばかりのニンフのように、リアは水滴をまとったしなやかな裸身をロモラの前にさらけ出した。

 ──かわいそうなロモラ。
 牧神のように自分で自分を慰めることさえ、これまでのあなたの人生には無縁だったのでしょう。
 ──かわいいロモラ。
 わたしは決して逃げたりしない。
 だから、わたしをつかまえて、熱く焼けた真夏の岩の上に組み敷いてごらんなさい。

「わたしは結婚していて、……」
「わたしには夫が、……」
 何十本も主演を張ってきた映画女優を前に、そんなセリフなんて何の意味があるだろう。ことばは、発した先から虚しく空気に溶けて消えていく。
 ヴァンプなんて幻想にすぎない。ロモラはよく知っていた。だって、同性だから。わかっている。ロモラの腕に絡みつこうとする指先も、蕾のようにゆっくりと開く唇も、くっきりとした二重の奥にひそむ一対の濡れた瞳も、すべてが真摯な問いを放っていた。

 あなた、本当はずっと探り当ててみたかったんでしょう? 自分の人生の不思議を。
 自分と同じ「ブダペストのお嬢様」が、鏡のなかの影にささやきかける。


 ニューヨークで、ベルリンで、パリで、賑やかなショッピング・ストリートから逸れて細く狭い路地に入っていく女性たち。
 マフの下に隠した手をそっと差し出し、腕を取り合い、楽しそうに何かをささやきあいながら向かうのは、鼠の巣のようにひっそりと軒を構える小さなダンスホール。クラブ。カフェ。ある女は山高帽を斜めにかぶってひとり物憂げに葉巻をふかし、ある女はローウエストのワンピースをそよめかせてチャールストンを踊り、ある大学生の女は女性の権利拡大をうたう雑誌記事を書き、ある肉体労働者の女は油にまみれた腕をテーブルに投げ出す。日陰であって日陰ではない、世界の隅であって世界の隅ではないあの場所に集う、てんでばらばらの女たち。共通項はそれぞれの胸に抱えた小さな燻り。自分の人生はこれでいいのだろうか? もっとふさわしい生き方が、暮らしが、誰かとの愛があるのではないだろうか?
 その煩悶を隣の席の女と分かち合う奇跡が起きたとき、彼女たちは互いの目を見つめ、唇を重ね、祝福の合唱を浴びながら小さなベッドにもぐりこむ。ニジンスカ振付の『結婚』のラストシーンのごとく。

  ──ようこそ。この世界は、この時代は、ちゃんとあなたがここへやって来るのを待っていた。
  ──ようこそ。あなたが自分の欲望と向き合える場所へ。

 その歓喜の唱和から逃げだす理由は、ロモラにはなかった。