Writer/文筆家

【連載】『わたしが推した神』ACT2-14 新しい推し活へ

 

 次女タマラの幼い日の記憶に、母ロモラの姿はほとんどなかった。

 9時か10時頃に自分の部屋から出てきて、リビングでお茶を飲むと、すぐにニジンスキーの部屋に行ってしまう。医者の往診さながら、事細かに患者の様子をチェックすること小一時間。その後は、新規ビジネスの打ち合わせやら、ニジンスキーの治療先探しやらでどこかに出掛けてしまい、夜まで戻ってこないのが常だった。
 ネグレクトではない。子守役の家政婦はいつも手厚く面倒を見てくれていたし、ブダペストの祖父母が送ってくれたおもちゃや絵本は山のようにあった。ドレスはお姫様のように可愛くて、ちょっと表へ出ればどこの富豪の娘さんかしらとみな振り返る。暮らしは何不自由なく、実は経済的に逼迫していたと大人になってから知って驚いたほどだった。

 けれど、親から愛情を注がれた記憶はほとんどなかった。自分に予知夢の能力があると信じ、夜中に精神医学の本や民間の精神療法のパンフレットを読みふけっている母は、タマラが悪夢に襲われて泣きながら膝の上に駆け込んでも、ぎこちなく頭を撫でて部屋に連れ帰るだけだ。そんなときによしよしとやさしく慰めて、キッチンでバターとアプリコットジャムを塗ったパンを食べさせて、青と白のチェックの布でやさしく顔を拭いてくれたのは、母ではなく、姉のキュラだった。

 母は父しか見ていない。
 かつて偉大なる天才バレエダンサーだった、ヴァーツラフ・ニジンスキーのことしか。

 キュラはすでにそう悟っているようだった。彼女はパリ・オペラ座付属のバレエ教室に通っていて、ダンスの世界に人生の喜びを見出しはじめていた。子ども部屋でレッスンの復習をする6歳上の姉の舞姿はとても美しく、母がさして関心を示さないのが不思議に思えた。その様子を見るうち、タマラも自然と、母に期待するのをやめた。かまってくれなくて寂しいという気持ちは消え、むしろ母が外出するとほっとするようにさえなった。

 そんな姉妹でも、ほとんど意思疎通の出来ない父のことはふしぎと好きだった。調子が良いときに、いっしょに観劇したり、ドライブしたり、ブローニュの森を並んで散歩できると嬉しくてたまらなかった。精神状態が悪くなって、ふいに石像のようにむっつりと押し黙ったり、看護師に向かって声を荒げているときでさえも、決して恐ろしいとは思わなかった。
「何を考えているのかわからない」──その意味では、父も母も変わらないのに。

 実際のところ、ロモラにとってふたりの子どもは、“普通の家庭生活”療法のためのキャストでしかなかった。
 キャストを強化するために、ロモラは離婚した姉のテッサをウィーンからパリに呼び寄せて同居させた。キュラとタマラはこの新キャストの登場を喜んだ。母よりもおおらかで陽気な伯母のおかげで、家の雰囲気はにわかに明るくなった。

 しかし、すぐに問題が勃発した。
 プルスキー家の長女として甘やかされて育ち、苦労を知らないまま結婚した姉は、ロモラに輪をかけて浪費家だった。家事をやってもらって使用人の数を減らすか、パリの金持ちと再婚させてそのおこぼれにあずかるか──どちらかが叶えば万々歳だとロモラは考えていたが、その目論見は完全に外れた。家事はてんでだめだし、婚活もことごとく惨敗。けれどショッピングやグルメは大好き。そんな姉のおかげで、家の経済状況はますます悪化していった。使用人への給与の支払いも遅れ、腹を立てた彼らはとうとう家事や子育てや看護をさぼりだした。家は汚くなるし、子どもはかんしゃくを起こすし、ニジンスキーの精神は荒れる。新規ビジネスに見切りをつけたロモラは、一般の求人にも応募を始めた。けれど、なかなか採用にありつけない。

 悪いことは重なる。子どもたちは流行のジフテリアにかかり、ロモラはひどい腰痛を患ってしまった。動きたいのに、動けない。家庭は崩壊の一途をたどっていった。

 たった4、5人の家さえも切り盛りできないだなんて。
 ロモラは自分の至らなさに打ちひしがれた。

 “普通の家庭生活” 療法は大失敗だ。いまの状況を見たら、どんな精神科医だってスピリチュアル団体の講師だってそう言うだろう。
 もっとうまくやる方法はあったのだろうし、やれる人もいるのだろう。
 けれど、わたしにはできなかった。

 夫が普通でなくなってしまったのだから “普通の家庭生活” が送れなくても仕方ない。そう開き直ることもできる。けれど、この数年のパリ生活で完全に悟った。「普通」ができないのは妻であり母である自分の方なのだと。いったいなぜだろう。大黒柱はさておき主婦業なんて、多かれ少なかれどの既婚女性も普通にこなしているように見えるのに。
 子どもたちに最良の環境を与えねばという義務感はある。だからこそ高額をはたいて乳母を雇ったり、姉をわざわざ呼び寄せたりもした。衣食住は絶対に不自由させまいと気を配っている。でも、どうしても自分自身の身体と心が動かない。育児ノイローゼでそうなっているわけではないし、そもそもノイローゼになるほど子どもに構っていない。その自覚はあるのに、どうにもできない。たまに一家水入らずで食卓を囲んでいると、背筋が冷える瞬間がある。夫は無口だけれど穏やかで、娘ふたりもブリオッシュをちぎりながら楽しそうに笑っているのに、この “普通の家庭生活” に居るべき4人目は自分ではないような気がしてくる。
 それはニジンスキーのせいじゃない。娘たちのせいでもない。
 明らかにわたし自身の問題だ。

 なぜなのかはわからない。けれど、家族の一員である、実質的には舵取りをする立場である自分が、この生活に苦痛を感じているとするならば。

 “普通の家庭生活” は打ち切って、 “新しい家庭生活” を見出すしかないのではないか。
 自分にふさわしい、前例のないスタイルを。

 痛む腰を引きずり、残された力を振り絞るように、ロモラは動き出した。
 これまでにかかった治療費の精算。使用人への支払い。そのための金策。
 子どもたちの身の振りにも知恵を絞った。母エミリアにあらためて頭を下げて、子育てと教育費の援助を願い出る。キュラは評判のいいスイスの寄宿学校に入学させた。タマラはまだ幼いので、当面はブダペストの祖父母のもとで過ごさせる。
 病身のニジンスキーは、姉テッサに託した。当面は再入院の必要はないだろうが、状態が悪くなれば、あるいはよりよい治療法が見つかれば、またビンスヴァンガーのサナトリウム「ベルヴュー」や他の病院に入院する可能性もあるだろう。そのための資金と情報は絶やさないようにしたい。
 
 ロモラ自身は、ひとりでアメリカへ渡る決意を固めた。
 一家離散。はたから見ればそうかもしれない。もう、夫婦と子どもふたりで暮らす日々が戻ってくる気はしなかった。病身の夫とふたりの子どもの世話を放棄して逃げた女、という世間からの非難は免れ得ないだろう。母親失格。主婦失格。否定はできなかった。 “普通の家庭生活” にいちばん合わなかったのは、他でもない自分自身なのだから。
 けれど、男たちだって妻子を置いて出稼ぎに旅立つのだ。自分がそれをやってなぜ悪いのだろう? いま稼げる状況にあるのは自分だけだ。ニジンスキーの今後の治療費も確保したい。子どもたちの教育費だって、母にすべて任せるわけにもいかない。起死回生のためには、単身赴任する以外の手段はない。

「期待なさい、アメリカはすばらしい国よ」
「誰もが自由で、望んだ働き方で生計を立てられる」
「社会の進歩を妨げてきた階級の区別もないんだから」──

 かつてアメリカ行きの船上で乗客たちから受けた激励が心によみがえる。
 世界大戦に勝利したアメリカは、満身創痍のヨーロッパ諸国に先んじて経済的活況の真っ只中にあった。自動車と化学とラジオと映画産業が大量の雇用と文化を生み出し、ジャズとチャールストンが大流行し、野球とアメリカンフットボールが熱狂を生み出し、参政権を得た女性たちが膝丈のスカートで街を闊歩している。どん底にまで至った「ブダペストのお嬢様」が裸一貫から出直すには、これ以上ふさわしい場所はないだろう。

 アメリカに行くにあたって、ロモラにはもうひとつ腹案があった。
 働きながら映画業界とコネクションを作り、ニジンスキーの映画制作を提案できないだろうか?

 ロモラが知る限り、バレエ・リュスは映像をほとんど残していなかった。
 それはプロデューサーのセルゲイ・ディアギレフが、大の映像嫌いだからだった。舞台の魅力は、生でなければ伝わらないし、映画は舞台芸術の敵だ。それが彼の信条で、ダンサーたちには映像用のカメラの前で踊ることを禁じられていた。
 ロモラの考えは違った。映像であれば現地に行かずとも全世界へ作品が拡散されるし、後世にも残る。せっかく映像技術が日進月歩の発展を遂げているのに、全盛期のニジンスキーのダンスをおさめた動画がないことを、ロモラは前々から残念に思っていた。
 推しの名声を爆発的に広め、そして永遠にとどめておける。それが映画なのに。

 ニジンスキーとロモラは、1916年の北米ツアーの際に、ハリウッドのスタジオで『イージー・ストリート(貧民街)』を撮影中のチャーリー・チャップリンに会っていた。同世代の銀幕の天才と挨拶を交わし、子どものように目を輝かせた姿をロモラは忘れてはいなかった。たとえ彼自身はもうあの頃のように踊れないにしても、ほかに役者を立てねばならないとしても、自分の人生の物語や生み出した作品がスクリーンに映れば彼だってきっとうれしいだろう。映像と音声を同期させる「トーキー」の技術も、大手の電機コンツェルンを巻き込んだ開発が進み、ほぼ実用段階に達している。ドビュッシーやストラヴィンスキーの音楽にのせてダンサーを踊らせることだって、決して不可能じゃない。バレエ映画を世に出せる時代は必ずやってくるだろう。

 その夢を胸に、いざ始めよう、新しい生活を。
 新しい家庭生活を。そして、新しい推し活を。


次回更新は9月17日(金)予定です。