Writer/文筆家

【連載】『わたしが推した神』ACT2-13 普通の家庭生活

 
 1920年6月11日。
 ウィーンのサナトリウムで、ロモラは第二子を出産した。女の子だった。
 出産のためにわざわざサン・モリッツからウィーンまで来たのは、時間を6年前に巻き戻したかったからだ。アカシアと薔薇の香り。初夏の風にそよぐ揺りかご。赤子を大事そうにバスケットに寝かせて、庭の散歩に連れ回すニジンスキー。使命を全うし、満足感に包まれながらベッドに横たわるロモラ。
 もしあのとき大戦の鐘が鳴りださなかったら、あのまま平和な日々が続いたのだろうか。

 産褥の苦しみに耐えながら、ロモラはニジンスキーの前に第二子を差し出した。ロモラの出産のあいだ、ウィーンのアム・シュタインホーフ精神病院に一時的に入院していたニジンスキーは、外出許可を得てサナトリウムにやってきた。切れ長の目をうっすらと細めて、赤子を抱っこする。頬にはうっすらと笑みが浮かんでいた。ああ。ロモラはベッドの上で祈るように指を組み合わせた。昔の彼が戻ってきた。舞台の上では神と呼ばれ、家のなかでは子煩悩な父親であった頃の。……

 けれど、それはたったの一瞬だった。ロモラが目を輝かせたのもつかの間、彼の表情からはみるみるうちに生気が失われていった。しぼんでいく風船のように。
 ──だめだった。
 子に興味をなくし、立ちつくすニジンスキーの腕から看護師が赤子を取り上げ、揺りかごに戻したその瞬間、ロモラもまた子から興味をなくしていた。夫婦はまるで初めからいなかったように赤子から顔をそむけ、ニジンスキーはどこともない宙をぼんやりと眺め、ロモラはそんなニジンスキーを食い入るように見つめだした。

  ──やっぱりそうなった。
 母エミリアは深いため息をついた。
 わかっていた。杜撰な「性欲療法」がどういう結果に終わるかを。わかっていた。こんな一か八かの賭けがうまくいくわけがないことを。あとにはこの高級サナトリウムの入院費と、 アム・シュタインホーフ精神病院の入院費と、賭けの失敗によってたったの一瞬で親に捨てられた子が残った。
 孫への同情と娘への疑念が湧く。
 いまや精神を病んだ娘の夫よりも、傍目は正気な娘のほうがエミリアにとって不可解な存在だった。いくらなんでも、腹を痛めた子への関心をたったの一瞬で失ってしまうなんて。男の子を欲していたのは知っていたが、その願いが叶えば違う結果になった、とも思えなかった。

 エミリアは意を決して提案した。
「ロモラ。サナトリウムから退院したら、みんなでブダペストに帰りましょう」
 幸いハンガリーの政情も落ち着き、立憲王政が成立してからは街の治安も回復してきた。娘も、病気の夫も、不幸な孫たちも、まるごと自分が引き受けよう。自分が戦争中に娘夫妻を追い詰めてしまったのも、この状況を招いた原因のひとつかもしれないのだから。これは、せめてもの贖罪だ。
 ところがロモラはそれを拒んだ。ニジンスキーを治してくれる可能性がある一流の精神科医がいて、ニジンスキーの才能を活かせる芸術とビジネスの盛んな街でなければ、絶対に住みたくないと言い張る。
 わが推しの完全復活──ロモラの頭ではその夢想だけがとめどなくぐるぐると回転していた。ニジンスキーが描く大量の円のパステル画のように。
「もう戻らないわよ。戦争前の世界が完全には戻ってこないのと同じ。少し良くなることはあっても、元通りに復活するなんて絶対にありえないのよ」
 そう言ってしまったら、ロモラのほうが発狂しかねなかった。

 エミリアは言葉を変えざるをえなかった。
「それならせめて、子どもたちはわたしとテッサに預けてちょうだい」
 案の定、その要望はロモラも喜んで受け入れた。相談の結果、長女のキュラはブダペストで暮らし、生まれたばかりの次女のタマラはブダペストと姉テッサのいるウィーンに交互に預けられる生活を送ることになった。キュラは、祖父母と一緒に暮らせると聞いて大喜びした。すでに物心がついた彼女は、自分にちっとも構ってくれないママよりも、おばあちゃんを慕うようになっていた。

 ロモラは退院後もしばらくウィーンにとどまる道を選んだ。
 なにしろ、ウィーンは芸術の都であるだけでなく、精神病研究のメッカだ。
 ニジンスキーが入院するアム・シュタインホーフ精神病院には、ユリウス・ワーグナー=ヤウレックがいた。精神疾患はマラリア熱を用いた身体的なショックを与えることにより回復する可能性もある、という論文を執筆し、注目を集める医師だ。のちにノーベル生理学・医学賞を受賞している。
 加えてこの街には、精神分析の権威であるジークムント・フロイトも、その弟子のアルフレッド・アドラーもいる。ロモラは病院で治療を進めさせるかたわら、これら精神科医の情報を片っ端から調べて会いに行き、ニジンスキーの治療の依頼をした。
 しかしフロイトはロモラからの依頼を断った。ニジンスキーが罹っている可能性の高い「精神分裂病」は、フロイトの精神分析理論を援用して研究が進められている分野ではあったが、彼自身はその疾患の専門ではなかったからだ。
 フロイトの影響下にあるほかのウィーンの医師からも、断りの返信が来た。彼らは、フロイトが提唱する「転移」 を用いて患者を診療する。転移とは、患者が心理療法を重ねるなかで、過去に特定の相手に対して抱いていた感情を分析家(医師)に向ける現象だ。この現象によって、分析家は患者の過去のトラウマを見抜くことができる。
 しかし一流の舞台人であるニジンスキーは、感情を表現するプロフェッショナルだ。「転移」と「演技」の違いを見抜くのは非常に難しい。当時の医師たちは、そのような考えから診察を断った。

 彼らがニジンスキーを拒んだ理由はそれだけではなかった。最大の懸念──それは、依頼者である彼の妻だった。勉強熱心なのはいいが、治療にあれこれ口出ししてくるのは邪魔でしかない。ビンスヴァンガーの治療方針が気に入らず、サナトリウムから夫を無理やり退院させたというよからぬ噂もある。医師たちは、ニジンスキーの復活のために躍起になるこの依頼者をいぶかしげに見つめた。精神疾患ではないにしても、彼女は彼女で何かひっかかりがある──ひょっとしたら、この人にも解明すべき心の謎があるのかもしれない。

 ウィーンの医者は駄目だ。
 約1年を経て、ロモラはその結論に至った。それならば、別の街へ行こう。かつてニジンスキーが出演する舞台を都市から都市へと追っかけたように、いまはニジンスキーの復活のためなら世界のどんな専門家のもとへも行きたい。
 しかし、バレエ・リュスのアメリカ大陸ツアーで稼いだ金はいよいよ残り少なくなっていた。これからまだまだ、入院費や治療費を払わねばならないのに。
 ──ニジンスキーが働けないなら、自分が大黒柱になって稼がないと。
 ロモラはそう決意した。何不自由ない家で生まれ育った「ブダペストのお嬢様」が、家計簿を前についに腹をくくった。

 ロモラはブダペストの実家から娘たちを再び引き取った。
 いったいどんな心境の変化かと案じるエミリアに、ロモラはこう返した。
「“普通の家庭生活” で彼の回復を促したくて」
 これまでが“普通の家庭生活”ではなかった、という自覚はあったのか。しかし、性欲療法の次は家庭療法とは。いったい、どの医者から吹き込まれた療法なのだろう? 

 ロモラが選んだ街はパリだった。一等地の部屋を借り、料理人やメイドや看護人や乳母を大勢雇って身の回りの世話をさせ、自分はニジンスキーと子どもたちを連れて観劇やドライブに出かける。なるほど、娘にとってはそれが “普通の家庭生活” には違いない。けれど、それはごく裕福な人びとでなければ許されない暮らしだ。
 そんな生活を送りながら、金策の悩みの手紙をエミリアや継父のオスカーに書き送ってくるのだからちぐはぐだった。しかも手紙の内容はかなり混乱していた。稼ぎたい、という熱意はわかる。けれど、ロモラの思いつきはどれもこれも現実離れしていた。ニジンスキーの半生を綴った本を出版する、と言ったかと思うと、タクシー会社を経営する、と宣言する。たしかにタクシーは流行りのベンチャー・ビジネスだったが、素人がうまく舵取りできるほど簡単な商売ではなかった。案の定、ロモラは早々につまづいてしまった。「4台か5台を使えば、1日で400から500フランの稼ぎにはなるって。でも修理代もかかるのに、いったいどうやってやりくりしたらいいの?」
 知人から誘われて、あやしげな投資にも手を出した。フランスの化学者が開発した歯痛薬の製法を買収して売り出す、というビジネスだ。これも当然ながらうまくいくわけがない。

 ──わたし、事業主には向いてないみたい。
 さすがのロモラも認めざるを得なくなったが、次に考えついたのは輪をかけて頓珍漢なアイデアだった。
 ──だったら、映画女優になろう!

「ブダペストのお嬢様」が想像できる精一杯の身売りだった。演劇学を勉強したこともあるし、一応はハンガリーの大女優の娘だ。主演は無理でも、脇役くらいにはなれるかもしれない。そんな期待を胸に、知人のコネを頼ってスクリーンテストまでこぎつけたものの、結果は惨憺たるものだった。ロモラの古風で品のいい顔立ちには、流行りの短く切りそろえたストレートの黒髪も、流行の青白いメイクも、奇抜な真っ赤な口紅もまったく似合わなかった。もちろん演技も素人同然だ。
 そんな風に迷走しているうちに、ついに貯蓄は底をついた。 “普通の家庭生活” のせいで借金もあっという間に膨れ上がり、いつブラックリストに載ってもおかしくない状態に陥ってしまった。
 
 医者さがしも迷走が始まった。
 標準医療の効果があがらない焦りから、代替療法にも目を向けるようになった。ルエドの洞窟に行って泉で顔を洗わせる、なんていうおまじないだけでは満足できない。どんどんディープな方向に目が向く。アメリカ・マサチューセッツ発祥の新興宗教「クリスチャン・サイエンス」や、フランス・ナンシー市を拠点とした催眠療法の「ナンシー学派」には特に心惹かれ、会合やセミナーが開かれるたび熱心に足を運んだ。
 ロシア文化を土台にしたトルストイ主義にはなじめなかったロモラだが、それらの宗教や療法はアメリカやヨーロッパの富裕層女性をターゲットにしており、すんなりと耳に入ってきた。クリスチャン・サイエンスの設立者メリー・ベーカー・エディは女性で、なおのことロモラの共感を誘った。キリストの子たる人間には本来「癒し」の能力が備わっており、病気とは人間が不健康な思考回路に陥ったことによって生じる妄想にすぎない──そんな彼女の思想は、ロモラにとって大きな慰めになった。
 わたしも、ニジンスキーを神秘的なパワーで回復に導くことができるだろうか?

 ふと、母エミリアのことばを思い出す。
「あんたは、おかしな夢をよく見る子だったわ」
 たしかにそうだった。子どもの頃のロモラはよく予知夢に襲われた。12歳のある夜、ロモラは、母エミリアが劇場の衣装部屋で何者かに撃たれる夢を見た。汗びっしょりになって跳ね起きたロモラは、エミリアの寝室に駆け込み、母が無事であることに安堵して泣き崩れた。
 その翌日。劇場のスタッフは、舞台衣装をまとったエミリアが血まみれになって楽屋に倒れているのを発見して腰を抜かした。彼女を撃った犯人は解雇されたばかりの衣装係で、自分がクビになったのはエミリアが自分の悪口を支配人に吹き込んだせいだと誤解して恨んでいたのだ。
 幸い怪我は軽かったが、そのエピソードは家族の間で長年語り草になった。
「この子は不思議な力があるのかもねえ」
 母のように演技ができるわけでも、姉のようにピアノがうまいわけでもなく、何もかも十人並みな娘だったロモラにとって、それは自分が認められたかのようなうれしいことばだった。

  ──わたし、もしかして、この分野にはけっこう向いてるかも……?
 ニジンスキーの回復のためと思って集めた民間療法のパンフレットも、分厚い精神医学の本も、気づけば読むのが楽しいと思うようになっていた。もっと推しを深く知りたいと願い、図書館でバレエに関する本をなんでも読み漁った時期を思い返す。
推しを知りたい」……
 その欲望の行き着く先は、いまやバレエから精神世界の探求へと代わっていた。推しを知ることが、おのずと自分自身を知ることにつながる。そこもまた、バレエに似ている気がした。

 ニジンスキーとの結婚から間もなく、バレエをやめたときのことが頭をよぎった。
「一流のダンサーには、なれない」
 彼からそう言われたのはショックだったが、実際のところ、ロモラが決意した本当の理由はそれではなかった。
「たとえば、ぼくがきみのために振り付けた、ある種の踊りなら、きっと、きれいに踊れる」
 その言葉を聞いたときに湧き上がった恐れ。それは、船上パーティでぶかぶかのパジャマをまとった少年のコスプレをしたときの恐れと同じだった。

 ──性って、なあに?

 そうだ。その問いの深みにはまりかけたとき、自分は耐えきれずにバレエから遠ざかったのだった。
 いったいなぜだろう?
 ロモラが熱心に漁っている精神治療や民間療法の本の隣には、きまって性を扱った本が置かれていた。精神医学やその周辺の世界では、精神疾患と同様に、人間の性をめぐる議論もトレンドだった。ジークムント・フロイト『性理論に関する三つのエッセイ』、マグヌス・ヒルシュフェルト『性の病理学 医師と学生のための教科書』、ハヴロック・エリス『人生と性』──いずれも20世紀になってから発表された論考だ。
 これらの新しい研究のなかに、答えが眠っているのだろうか。ロモラは時折こわごわとそうした著作のページをめくった。

 だがいずれにしても、それらは、ニジンスキーの治療には何の役にも立たなかった。
 ──わたしが、ニジンスキーを回復させる。
 その夢は、 “普通の家庭生活” の崩壊とともに潰えつつあった。

 1923年6月。
 バレエ・リュスは、パリ公演を行っていた。

 ニジンスキーがパリにいるという情報を聞きつけたセルゲイ・ディアギレフからの連絡に、ロモラは快く応じた。ディアギレフの導きがあれば、彼が舞台の上でもっとも輝いていた頃の精神状態を取り戻してくれるかもしれない。そう思うと、かつて抱いていた敵対心は薄らいでいった。
 ディアギレフに付き従っている何人かの美しい若者たちが、新しい恋人候補であることにはすぐ気がついた。ダンサーのセルジュ・リファールとアントン・ドーリン、そして台本作家兼秘書役のボリス・コフノだ。噂によれば、ニジンスキーの後釜として活躍した美貌のダンサー、レオニード・マシーンもまた、女性と交際したことでディアギレフを激怒させ、バレエ・リュスを去っていったという。
 この男は何も変わらない。同性の才能を切望する男。同性と愛し合うことで性と芸術への欲望を同時に昇華させる男。けれどその資質こそがバレエ・リュスに新たな息吹をもたらし、生み出す作品は季節さながら変化していく。ディアギレフが天才 プロデューサーと呼ばれる理由は、バレエ・リュスが奇跡のバレエ団と呼ばれる理由は、良くも悪くも、この人のそうした愛のスタイルにこそある。彼が死なない限り、バレエ・リュスは時代の波を泳いで生き続けるだろう。かつての恋人たちを屍に。そして、いまの恋人を肥やしにして。

 それなのに。
 かつての恋人を前に、どうしていまにも泣きだしそうな顔をしているの? 解雇したのに? あんなに追い詰めたことさえあったのに?

 ──わたしが、ニジンスキーを回復させる。
 そう信じたがっているかのように、ニジンスキーの手を取った。
「ヴァーツラフ、わたしにはきみが必要だ。バレエ・リュスとわたしのために踊ってくれ」
 上ずった嘆願の声。ロモラは胸を詰まらせた。ひょっとしたら、この人はずっとニジンスキーを忘れられなかったのかもしれない。その後、何人ものバレエダンサー兼恋人を生み出し、新作の興行に命をかけながらも。
 ところがニジンスキーはどこまで本気なのか、平坦な声でただこう返すのみだった。
「踊れない。ぼくは狂っているから」

 また会いたい。別れ際にディアギレフは繰り返した。それは社交辞令ではなく、彼はパリ滞在の間、何度もニジンスキーを見舞いに来たり、公演に招待したりした。だがかつての恋人の様子はまったく好転せず、ディアギレフの表情からはだんだんと当初の輝きが消えていった。打ちひしがれたプロデューサーの姿を見るのはロモラにとってもやりきれなかった。


 この年のパリ公演では、ストラヴィンスキー作曲による新作がお披露目された。
 振付は、 ニジンスキーの妹のブロニスラヴァ・ニジンスカ。彼女も兄と同じく、一時期はバレエ・リュスと疎遠になっていたが、ディアギレフからの誘いを受けて2年前にふたたび団に戻ったのだった。
 タイトルは『結婚』 。物語はごくシンプルだ。まだ互いに会ったことがない花嫁と花婿が、不安を抱えつつも身支度を整え、相手と顔を合わせ、婚礼をあげ、初夜のために寝室に入っていく。それ以上の筋はない。しかし音楽がさすがのストラヴィンスキーだった。合唱とピアノと打楽器という珍しい組み合わせで、どこか秘教めいたムードを醸し出す。
 振付もユニークだった。ダンサーはほとんど男女同数。かといって、『眠れる森の美女』のように、男女で手を取り合って華やかなダンスを踊る場面は一切ない。あるときは男女それぞれ花婿と花嫁を囲み、あるときは平行の列をつくり、ほとんど同じダンスを踊る。男性だから力いっぱい跳躍したり、女性だから細やかな足さばきを見せたりといった性差によるパフォーマンスの違いはあまりみられない。それは主役の花婿と花嫁も同じだ。同じように髪を梳かし、同じように親や友人から幸せを願われ、同じように踊る。

 ニジンスカは結婚し、子どもを持ちながらも、バレエダンサーとして、また振付家としてのキャリアを全うする道を選んだ。キエフにバレエ学校を創立し、舞踊に関する論文を書き、さまざまなアーティストとコラボレーションを重ね、振付家として独自のバレエを開拓した。
 初対面の者同士が結婚させられるという因習めいた要素と、近未来的なジェンダーレスの要素が絶妙に絡み合う『結婚 』 。この不思議な世界は、ニジンスカの複雑な結婚観を反映しているのだろうか。

「その売春宿には、性のあらゆるいとなみがある。男へ男を、女へ女を売ることだってある。ぼくはそうした群像を前に、愛の美しさと破壊について踊りたい」

 ニジンスキーが一時期しきりと口にしていた新作の構想を思い出す。ニジンスカの「結婚」は、フリーセックスを奨励するような売春宿の世界とはまったく違ったが、既存の性のあり方に一石を投じるという意味ではやはり似ていた。もしあの新作が形になっていたら、きっとディアギレフは喜んでプロデュースしたに違いない。彼ら兄妹の性に対する新しい感覚と、ディアギレフのセクシュアリティの奇跡的な合致こそが、バレエ・リュスのアイデンティティを作り上げてきたのだから。もとを辿れば、かつての「薔薇の精」も、「牧神の午後」も──。

結婚したい……!
 その想いに憑かれてからすでに11年。何もかも遠くに来た。そう思うには充分すぎるほどの歳月が過ぎていた。
 あのとき抱いた「結婚」という夢は正しかっただろうか?
 その夢は、自分の本当の心の声だったのだろうか?
 その夢は、バレエ・リュスの精神とはかけ離れた虚像ではなかっただろうか?

 我が身を省みるように、ロモラは客席からその舞台を眺めていた。